カテゴリ:cafe( 43 )

Cafe Hope

家庭料理と同じく、コーヒーも家のがいちばんおいしい。
我が家のエスプレッソマシーンは、夫の手により毎朝一日一回稼動する。
薄くなったり、濃くなったり、量が多くなったり、少なくなったりとコーヒーは日がわりだ。
飲む人の体調によって微妙に変化している。
年々、オブラートに包まれていくような夫の愛情を実感する瞬間である。
一瞬。
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写真は先日知人宅でいただいたコーヒー。
これが珍しく、といっては語弊があるかもしれないが、今まで記憶している「よその家」のコーヒーの中で一番おいしかったもの。

彼が淹れたのか、彼女が淹れたのだったか。
夫婦で入れ替わり立ち代りミルクを温め、泡立てて、エスプレッソを淹れていたから、よくは覚えていない。
決して広くはないキッチン。
ニアミスすることなく、話しながらも作業は静かに、ゆっくりと進んでいく。
そんなことを感じさせないで。

できあがったコーヒーは、ミルクの量とBIOというコーヒーの量の加減がちょうど好みであった。
ほとんどが手作りという美しく居心地よい空間に、二人のやわらかな雰囲気がすっかり溶け込んでいる。
そんな場所ではコーヒーの味がさらにマイルドになる。
なんとなく、これからうまくいきそうな気がしてきた。

ごちそうさまでした。
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by sommergarten | 2008-12-07 14:53 | cafe

Djabanaにてドイツのカフェを考察す

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パリのカフェや、日本の喫茶店、イタリアのバールにはないドイツのカフェのよさ。
それは、ずばりカフェ以外の飲み物が充実していることである。
ほかの国ではデカフェをおいていないカフェも多く、困る。

帰省中の日本で、どうしてもコーヒーを飲みたいがデカフェでないとまずいという日、かなり苦労した思い出がある。
あちこち探したがデカフェをおいている場所がみつからない。
4,5軒喫茶店をまわった後、最後に由緒正しいコーヒー専門店の重い扉を開けた。
「カフェイン抜きのコーヒー、おいてます?」とたずねたとたん、怪訝な顔をされてしまった。
たしかに、コーヒーはカフェインあってこそのコーヒーなのかも知れない。
味も風味も劣る。
しかしながら、ドイツにはあるのだ、デカフェはカフェならどこにでも。
カフェと同じように、それは普通の顔をしてその名を連ねている。
ドイツのカフェには、カフェインなしのコーヒーだけでなく、アルコールなしのビールも、ハーブティーもある。
だからいつ、どこで、だれと、どんなときに入っても安心である。

食堂として使えることもドイツのカフェのいいところ。
冷たい食べ物、パンやサンドイッチだけでなく、具沢山のスープや、パスタなどのちょっとしたものも普通はおいている。
昔ながらの日本の喫茶店がそうだったように。
あの、かつての何でもありの空間は、ドイツから輸入したのではないかと疑っているくらいである。
フランスのカフェやイタリアやスペインのバールではカフェはカフェ、軽食は軽食、食事は食事とはっきり分かれていることを考えると、多目的に使いやすい。
客の都合、自由に任されている空間だ。

「朝食」メニューが充実していて午後でもゆっくり食べられることは、日本にもない特徴である。
レギュラーメニューのいくつかの種類の朝食セットに加え、日替わりランチがあるカフェも多い。
朝早くから、場所によっては夜遅くまでバーとしても使える。
ある古株のべルリンのカフェはめずらしく24時間営業だが、朝食メニューがどれも24時間食べれるという不思議な店だ。
そんなことが可能なのがドイツカフェの面白いところである。
時間が制限され、一人では入りにくいレストランより、安くて気楽に入れるカフェのほうがずっと使い勝手がよい。

かつてドイツのカフェは文化人のたまり場であったという。
カフェはコーヒーを飲むための場所以上であった。
同業者の情報交換の場であったり、たとえばもの書きの仕事場になったり仕事の契約の場所となったりと、フリーランサーたちはオフィスを構える代わりに、カフェの一角をオフィスがわりに使っていた時期があった。
かつての住環境の悪さ、せまくて、寒くて、汚くて、居心地が悪いという時代に、当時は自宅よりも過ごしやすいカフェに居すわった人が多かったという。
そういう歴史があったから、ドイツのカフェは滞在型として定着してきてきたのかもしれない。
回転の速さ、という経営テクニックなどとは無縁なのだ。
いちど腰を下ろしたら根が生えてしまうカフェがとても多い。
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忙しい現代人にとっては、なかなかそうゆっくりしていられないといえ、ここ最近はワイヤレス・ランのカフェも普及してきて、一人当たりの滞在時間がさらに延びてきた感のするカフェがベルリンには多い。
高級ホテルや新幹線(ICE)内のビストロ・カフェでもない限り、「追加でなにかお飲み物はご入用でしょうか」などということはいってこない。
カップに少しでも飲み物が残っている限りは、絶対にそんな野暮な質問をして客の居心地を悪くするような失言はしない。
とくに、ベルリンにはお財布の中身がコインだけの人も少なくなく、台所事情が切実であるから、追加注文などと余計な心配をすることは無責任なことでもあるのだ。
だからめずらしく意味深に勧めてくるときは、お会計のときに、
「これは私が申し出たのだから、私からのプレゼント」
といってお金を払わせてくれない。
そんなこともある。

カフェでは、デカフェやハーブティーにも、
カクテルバーでは、ノンアルコールのカクテルにも、
クナイペでは、アルコールフリーのビールにも、それぞれにちゃんと市民権があるドイツ。
よそ者でもなんとなく落ち着けるのは、案外そんなところに理由があるのかもしれない。
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by sommergarten | 2008-11-23 18:38 | cafe

Lentz

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雨上がりの週末の午後。
シャルロッテンブルグの閑静な住宅街のカフェ。
小洒落た子供服のブティックなどがたち並ぶこの通りを歩くと、ふと戦後はこのあたりが英国管轄下にあったことを思い出す。
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by sommergarten | 2008-05-19 14:42 | cafe

WORLD CAFE in 「Hugendubel」 und... 本屋とカフェ

(この景色のために、数ある「Hugendubel」の本屋のなかでも好きなクーダムの支店)
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ドイツ語などろくにわかりもしないのに、昔から好きな場所。
ドイツの本屋。
たいていのところにカフェがあるし、ゆったりしていて、ソファーもあり、待ち合わせにもぴったりなのだ。
小物や、ちょっとした文具もあり、おみやげや小さなプレゼント探しにも最適。
こどもの絵本コーナーには遊具があるのも嬉しい。
休日の繁華街でちょっと休憩にカフェでお茶というときには、
だからあえて普通のカフェではなく、そそくさと本屋へ。
空いているし、集まる人の気分を代弁しているのか空気が澄んでいる。
しんと静かで、ゆっくり休める。
その分コーヒーがおいしく味わえて、「ついで」に本も、、、
といっても写真ばかりの料理の本や絵本なのだが、見てまわるうちにゆったりした気分になってくる。
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(この最後の一枚はまた別の本屋「THALIA」にて)
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by sommergarten | 2008-05-15 05:11 | cafe

Rix (Neukoelln)

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http://www.caferix.de
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by sommergarten | 2008-03-29 06:34 | cafe

Cafe Double Eye

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ドイツで何かを買うとき迷ったら、後悔しないように必ず値段で選ぶことにしている。
つまり、高いほうを買う。
そうでなければ買わない。

日本の買い物は、そう簡単にはいかない。
安いものでもいいものがあるし、同じ物でも店によって大幅に値段が違うこともあるからだ。
ドイツではあまりそういうことはなく、分かりやすいように思う。
私が知る限りにおいては、「安かろう悪かろう」というのが世の中の相場だ。
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しかし、その常識を気持ちよくくつがえしてくれるカフェを発見。
ここDouble Eyeのカフェは安くておいしい。驚くほどに。
エスプレッソが77セントほどで(これは本場イタリアはローマより安い)、
ちょっとしたクッキーがついたMilchcafeが2ユーロ。
ちなみに、2005年だったか、全ヨーロッパのカフェ・チャンピオンシップのエスプレッソ部門で優勝したとか。
そのような賞状が店内に張ってあると夫が言っていた。
(私はそんなことよりも、誰よりも背の低い自分の番が見落とされないように時折背伸びをし前ばかりを見ていたため、これは未確認情報である。実際のところは、こんな小さな大人がいるのかとドイツ人の谷間で逆に目立っていたかもしれないのだが)。

立ち飲みが基本とはいえ、カフェの専門家たちにも認定されたおいしいカフェが、こんなに安くいただけるとは、いまどきこんな理不尽な、粋なことをしているお店(いいものを安く提供)はドイツにはなかなかない。
お陰でこの小さなお店にはいつも人があふれ、一杯のカフェのために列を作って順番をまたなければならない。
それがまた、カフェの味をよりいっそう引き立ててくれる。
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by sommergarten | 2008-03-14 07:27 | cafe

Cafezeit

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不思議な体験をした。

絵画に対する苦手意識を克服しようと作戦を練って、絵を観にいく旅にでかけた。多少の予習をし、ある日の数時間集中して観てまわり、それからの2、3日は夜になるとその絵を勉強した。とはいえ、もともとの素養もなし、付け焼刃の知識ではあったのだ。どこかの場所や、たとえばある人のことであれば、そのようなこと、つまり、それくらい短期集中して深く見聞きしたり考えることなどは過去にあったが、絵画、それも古典絵画の傑作の数々がその対象であったのは初めてだった。そのせいでこともあろうに私は3日ほどよく眠れず、うなされてしまった。ある日の夢では、ルーベンスの宗教画の中に入って、最後の審判を受けて天高く上っていったり、また別の朝方は500年も前の肖像画の巨匠に見つめられて動けなくなってしまった。

絵や絵の背景に関して聞きかじるにつれて、絵があらわしている画家の人生と絵の、切っても切り離せない関係性が見えてきて、胸が詰まってくる(これを感動と呼ぶのかもしれないが)と同時に、歴史的傑作といわれる絵画にはそれだけ人の魂がこもっているということを実感した。それは、人ごみの中で人あたりをおこしたりするのとまったく同じで、私はすっかり飽和状態で「絵あたり」をおこしてしまっていた。絵画鑑賞などいままでした事がなく、免疫がまったくなかったということもあるだろう。

しかし、まもなく不意に絵から離れることとなってすぐに精神の安定は取り戻せた。生きているもの以外から、言ってしまえばただのキャンバスと絵の具という物質から、こんなエネルギーがでていて、これだけ人を消耗させ得るという事実を実体験を通して初めて知った。

ここ数ヶ月は気分的に落ち着かず、カフェといってもたいていは無味乾燥な、つまりスターバックスのようなカフェにしか足が向かなかったのだが、久しぶりに本来のカフェにという気分になりふらりと入ったのがここ。初めての店で、何とはなしに見まわして、なんとなく圧迫感を感じて背後に目をやると、なんと先日「お勉強」したばかりの絵画、ルーカスクラナッハのアダムとエヴァのレプリカが掛かっているではないか。シンクロニシティーは昔からよくある体質なのだが、このような偶然にはいまだに慣れない。ただ呆然として、あらためて絵画の力に恐れ入ったという次第。

アダムとエヴァが食べた禁断の果実。それは知恵の実。裸であることが恥ずかしいということを知り、無花果(いちじく)の葉をまとうようになる。しかし罪なき無垢よりも、罪ある愚者のほうがずっと面白いし、楽しいし、深みがあると思う。裸よりも、いちじくの葉の姿のほうが素敵だ。人は、禁断の果実をたべずにはいられない生き物だし、食べたあとの罪を無様に背負ってでも、ひとつでも多くのことを知り、学ばずにはいられないものだと思う。それが、人が真に生きている証だと思う。
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by sommergarten | 2008-02-04 04:46 | cafe

Wohnzimmer

「居間」という名のカフェ。
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飾っているのか、飾っていないのかわからない、
旧東的といえるのか、そうでないのかわからない、
形容しがたい特殊な雰囲気をもつ、
そして決してお洒落ではない、居間。
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突拍子もないインテリアなのに、落ち着くゆえんは、
必要最小限に、限りなく落とされた照明とその色。
生真面目にみえて、随所に遊び心が見え隠れする居間にいると、
ここに住んでいる人はいったいどんな人だろうと、
舞台が作り上げた架空の家主に思いをはせてしまう。
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by sommergarten | 2007-12-20 08:57 | cafe

Pappa e Ciccia

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辞書を引いてみると、「Pappa」は幼児語の「まんま」、 Cicciaも「幼児語でお肉」とある。
かつてイタリアに住んでいた夫いわく、「じゃあ、Pappa e Cicciaで 『もぐもぐパクパク』って感じじゃない」。
イタリアン・モダンに、ベルリンのベーシックと透明感のある空気を掛け合わせたような大人の空間は、『もぐもぐパクパク』とはどうしてもむすびつかない。しかし、ここにイタリアの茶目っ気がさりげなく演出されているような気もする。

かつて、まだ学生だった頃、イタリア人と住宅街の美しい並木道を歩いていたときにこんなことがあった。たっぷりと繁った葉を身にまとった端正な一本の大木の先端に、ス-パーのビニール袋が引っかかっていた。どこからか風で飛んできたのであろうか。思わず立ち止まり、明らかに景観を壊しているその色気のない姿に幻滅しながら見上げていた。もしかすると眉間にしわの一本でも寄っていたかもしれない。しばらくすると隣のイタリア人も気がついて立ち止まり、そして、愉快そうにつぶやいた。「今日は、ことりさんもスーパーで買い物したのかしらね」。私は彼女の思考回路に脱帽したものだ。これが、イタリア人の血であるのかと。

ローマでは、とある世界的に有名なファーストフード店、かりにMとするが、そのMで働くスタッフが一致団結して、「私たちは、ファーストに給仕したくない」とストライキを起こした、そんなお国柄だ。失業率が高くても、仕事があるだけでありがたいなんて考えはさらさらなく、あくまでもマイペースで、楽しく生きることに価値を見出す人種。先行き不透明な世の中、刹那的ともいえるほど、今を大切にする彼らからは学ぶべきことも多い。したがって、きちんと計画をたてて、律儀にそれを遂行し、できるだけ安定した生活を送ろうとするドイツ人の非日常の旅先として一番人気が高い国でもある。
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さて、ことりが対になったこのお店のロゴマークからすると、『ぴーちく(まんま)、ぱーちく(まんま)』(と、ことりたちがささやきあう様子)とも呼べそうなこのイタリアン・カフェでは、しかしちゃんとした大人のイタリアンの食事も取れる。本国イタリアだと、レストランはレストラン、ピザ屋はピザ屋、カフェはカフェ、バールとしっかり用途別にわかれているので、カフェとしても、軽食用にも、ちゃんとしたレストランとしても使えるこの店は融通が利いて非常に重宝している。というわけで、今年の夏から重宝しているお店の一つ。

朝とお昼はそれぞれに日替わりメニューが張り出され、セルフサービス。ショーケースの中にはサンドイッチやデザートも充実している。セルフサービスといっても通常のとは少し違う。まずレジでお金を払って名前を告げ、飲み物はその場で受け取り、パンとオリーブ、ナイフとフォークなどは自分で好きなようにパンかごに盛って席に着き、名前が呼ばれたら取りに行く、食堂形式。夜には夜のメニューリストがあり、セルフサービスでなくなる分、値段も高くなる。かなり合理的なシステムである。

午前の早い時間でなければ、席もほとんどが埋まっている。足場が悪い割には人が途切れることのない人気物。夏は涼しげに見えた店内が、暗い冬に寒々しく見えることがないのは、集まる人肌の加減だろうか。この頃は、冬に向けてすっかり少なくなってきた太陽の光を、白い内装がしっかり受け止め倍増して、店内を明るく照らしているくらいだ。雪の日には、すっかり溶け込んでしまいそう。なつかしい、あのかまくらのようなあたたかさで包んでくれるかもしれない。
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by sommergarten | 2007-11-06 17:08 | cafe

Hackbarth (Mitte)

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ひととき時間を忘れさせてくれ、ちょっぴりほろ苦い。
カフェと新聞。
似たもの同士。
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by sommergarten | 2007-10-02 06:51 | cafe