カテゴリ:街角ブレイク( 19 )

大人とこどものクラシック

f0030774_12381082.jpg

冬の長いドイツでは、コンサートホールや、劇場、巨大ショッピングモールなど、屋内娯楽施設が充実している。世界遺産の博物館島にある、ボーデやペルガモンなどの博物館・美術館がすべて地下でつながる計画もあるくらいで、そうなれば、吹雪の日も朝から晩まで地上に出ずに芸術の世界にひたれるという次第。短縮された移動時間は、博物館併設の落ち着いたカフェで、現実の喧騒に戻ることなくお茶のひとときにあてられる。

夏は30度を越して、さんさんと降り注ぐ太陽の光に目を細める日々でも、冬は長く、日がとても短くなる寒国のドイツ。天候に影響されず、いかに快適に屋内ですごすかはとても重要なテーマである。ベルリンでも屋内型巨大ショッピングセンターが次々オープンしており、50数軒に上るという。個人的には、季節の移ろいを感じながら、青空市場で買い物をするのが好きである。暑い暑いとこぼしながら買い物をし、寒いと体を震わせながらさっさと済ませて、カフェに飛び込んでほっとする。しかし、それでもひどい雨の日や、吹雪の日でも、どこかにいきたい、という気持ちがむくむくとおきれば、ありとあらゆるお店だけでなく、ジェラートやソーセージのスタンドや、カフェからレストランまでそろい、場所によってはこどもの遊び場まで併設の巨大ショッピングモールは非常に便利であり、実際わざわざにでかけることも少なくない。あちこちに設置された、小ぎれいなベンチに座って、人の流れを見るだけでも面白い。

冬が暗く、長い故、公共施設はその大きな難点を考慮して作られている。だからとても快適であり、もちろん天候がよくても、便利なのである。まさに短所が転じて長所になっている。そういった工夫は公共設備にとどまらず、各家庭の部屋のインテリアにもよく反映されている。ドイツ人の家の中は、いつもきれいに整えられているだけでなく、とても個性的な装飾で上手に統一されていることが多い。ドアを開けると一つの世界が広がっているかのようなのだ。趣味があう、あわないとは無関係に、一つの雰囲気にまとまっている部屋というのは非常に居心地がよく、ソファーに座ったら最後、時間が過ぎるのが早く、なかなか腰が上がらない。お金をかけずとも工夫を凝らして、素敵な住まい方をしている人が多い。
f0030774_12385237.jpg

ドイツ、とくにベルリンにきてから感心したのは、音楽ホール、細かく言えばクラシック音楽と一般市民の距離が非常に近いことだ。敷居が低い。その最大の要因は、天候ではない。つまるところはお金、良心的な料金設定である。音楽の識者ならまだしも、一般庶民にとっては、やはりお財布事情が行動を制限してしまうことは避けられない。そういう意味で、一つの娯楽の選択肢として、目にも耳にも美しく繊細なクラシック音楽が気楽に楽しめるということは、すばらしいことだと実感している。そして、クラシックといえば、当然のことながらまずなによりも音楽以前に不可欠なのが静寂。よって、こども連れの出番ではないはずなのだが、子供を持つ若い大人にもクラシックを楽しむ権利を守ってくれるようなコンサートがたくさんある。たとえば、ファミリエン・コンサート(家族のコンサート)は、早い時間に設定されていて、こどももつれてくることができる。ホールのドアを隔ててすぐには、無料の託児スペースが大きくとられている。音楽はあくまでも本格的なものだが、多くのこども連れが見込まれるため、こどものいる家族は連れてでかけやすいし、普通のコンサートよりもお財布が傷まない料金設定である。たまに赤ん坊の泣き声が聞こえたりするハプニングもあるためか、料金は普通のコンサートよりぐっと抑えてある上に、こども連れの場合は指定の窓口で買えば、一枚が正規の値段以外はすべて4ユーロなのである。知らなかったせいもあってか、これには心底驚かされた。つまり、一人だけ正規料金(たとえばこの場合は一枚30ユーロ)を払えば、残りのこどもと、同伴者の大人たちは全て一枚たった4ユーロなのであった。実際にこのチケットを購入したので間違いはないが、あまりにもすごい話で、狐につままれたようではあった。しかもこれはフィルハーモニーの大ホールでのコンサートである。

そして、今日また面白そうなコンサート情報を見つけた。クーダム駅から地下鉄に乗り込むまでの道すがらにみつけた写真の広告。コンツェルトハウスでのコンサートの広告である。大きなコーヒーカップとともに踊っているタイトルが「モーツァルトのマチネ ~こどものプログラム、カフェとクロワッサンとともに~」。小さなこどもをもつ親にとってはかなり魅惑のタイトルである。しかも場所が、あの素敵なコンツェルトハウスというのだ。

ちらっと調べてみたところによると、11時から、たった15ユーロで大ホールでのオーケストラが堪能でき、その間、無料の託児所が設置されるという。しかし、もっとすばらしいのは、それとは別に、こども一人当たりたった3ユーロ、あるいは2番目のこどもからはさらに安い1ユーロを払えば、親がコンサートを堪能している間に、同じ建物の別の小ホールで本格的なこども専用の教育者による音楽プログラム、「こどものモーツアルト」に参加できるというのだ。しかも、対象年齢は3歳から。15ユーロでこどもを連れて本格的なクラシック音楽を気軽に楽しめるだけでもすばらしいのに、それに託児料金が含まれ、さらに数ユーロの追加でこどもたちは「こどものモーツアルト」を楽しめるのである。こんな優雅な休日が、幼いこどものいる普通の家庭(あくまでもわれわれのような普通の一般庶民家庭を想定しているのだが)に可能だなんてことは、考えるだけで心が踊るくらいである。儲けを度外視しているとしか思えない、広告費にもならない慈善事業レベルのイヴェントであると思う。

それでも、そのお金と時間を捻出しチケットを買ったりスケジュールを組んだりと、実際のところはなかなかそうも簡単にいかない。「安い」はずのチケット代で一枚か二枚の簡単な子供服が買えたりすることを思うにつけ、次回の公演で、実際その場にいるかどうかは定かでない。ただ、とにかく。おいしそうなカフェのアップにつられてこの広告の前にしばし立ち止まり、一本電車は逃したけれども、それは楽しい気分で帰途についた、ということなのである。
f0030774_12391716.jpg

[PR]
by sommergarten | 2007-10-07 12:44 | 街角ブレイク

本日のウィンドーショッピング

f0030774_4584494.jpg

日本へ休暇の帰国前に、おみやげを調達しようと昼休みにでかけた。
目指すはベルリンで一番好きなデパート、KDWではない、実はアレックスのガレリア・カウホフ。
駅から広場に出ると、すでに聞こえてくる大音量のノリのいい音楽にたいそうな人だかり。
何事かと思いきや、こんな不思議なショーが展開されていた。
デパートのてっぺんから、音楽にあわせて踊りながらシンクロして降りてくる二人。
昨日今日と、ちょっとしたことで気分が滅入っていたのだが、
おかげで顔を上げて、真っ白な雲が浮かぶ青空を望むことができた。
[PR]
by sommergarten | 2007-09-27 05:00 | 街角ブレイク

せかいのこどものひ

f0030774_656464.jpg

秋晴れの先週末は「世界のこどもの日」と称して、こども祭りがあった。
体にゴムのベルトをつけて、トランポリンの力で空中を舞うこどもたちや、
大きな模造紙に絵の具を塗りたくったり(決して絵をかく、のではない)、
生バンドの音楽に体を揺らしたりして、主役のこどもたちはみな楽しんでいた。
いろいろな遊びは用意されていたが、移動遊園地の乗り物のようなものは一切なく、
屋台の食べ物も、ビオ製品が多く、値段も手ごろとなかなかの趣向。
たくさん準備された遊具をあれこれ見て回って、わが娘を含めこどもに一番人気があったのは、
意外にも、このただの「わらの山」であった。
そして最後にすばらしかったのは、これだけ大規模な準備をし、
まだまだこどもや家族は楽しんでいるというのに、
こどものお祭りだけあって、18時にはきっちりお開きになったということ。
時間がきたとたん、みんな片付けに入り、家族はいそいそと家路に急ぐ。
ドイツ人の多くのこどもは7時半から8時ごろにはベットに入る。
そしてそれからが大人の時間、ということらしいのだが、
なかなか我が家はそのようにうまくはいかず、いまだに親子3人川の字になって寝ている。
親がこどもを寝かしつけながら先に寝入ってしまい、朝はこどもに起こされているという、
ドイツでは市民権を得ていない外国のスタイル(のなかでも例外)ではあるが、
世界は広し時代は巡る、であるから、川の字スタイルは世界で脚光を浴びる日もそう遠くない気がする。
少なくとも、我が家にとっては川を作ってすごす時間が、たとえ眠っていようが一日で唯一濃厚な家族の時間。
娘の寝言に成長を確認し、お互いの体調を体で感じ、今日のことを話し、明日のことを語り、安心して寝入る。
一日でもっとも大切な時間になってきている。
f0030774_732894.jpg

[PR]
by sommergarten | 2007-09-22 06:59 | 街角ブレイク

初物とはじまり

f0030774_7422410.jpg

まだ9月も中旬をすぎたばかりというのに、カフェに火が入った。
暖かい室内の暖房はまだまだ先で、始まったのはドイツでは恒例の冬の野外カフェ用の暖房である。
毎年どうしても同じことを繰り返しつくづく考えてしまう。
もったいないことを忌み嫌い、節約したり、省エネやエコロジーに対する市民の意識が非常に高いドイツで、なぜ一見この非常に無駄に思え、実際無駄な野外暖房が必要なのかと。
ドイツの冬とこの野外暖房は切り離せられないくらい、ドイツの生活に根付いている。
ドイツでは雪の庭でバーベキューをすることがあるということを知ったときも同じくらいの衝撃を受けた。
非常に不経済である。しかし、たのしそうである。気持ちよさそうでもある。
この無駄が嫌いなドイツ人が無駄をするときの遊び心が、実はとても好きである。
このカフェの野外暖房器具を見るたび、これはそのドイツ人の性格をよくあらわしているなと思う。
それを思うとき、ある一つのことが思い出される。

20年近く前、あるドイツ人とロンドンで落ち合い、ロンドンの高級デパート、ハロッズに冷やかしに入ったときのこと。彼は、カジュアルな服装に、リュックサックといういでたちで、知人の家の一角を借りて寝袋で寝泊りしていたいわゆるバックパッカーだった。その姿は非常に彼の雰囲気に溶け込んではいた。それも、彼が50歳過ぎであったことを考えると不思議なくらいに違和感がなかったのだ。清潔だったし、簡単な服装ながらも小さなこだわりが個性となって現れていたからなのかもしれない。しかし、この年齢でこの服装とは、経済的な理由があるに違いなかった。私は彼よりもゆうに20才以上、30近く若かったせいもあるだろうが日本から来た身で、手持ちのお金はなかったけれど洋服においては彼よりはまだもうすこし気を使い、ましな格好をしていた。

店の中は全てのものが高く、お金のない二人が冷やかしに入るには、店のものを見るだけにしても敷居が高い。落ち着かない気持ちでそろそろ出ようかと言いかけたそのとき、あるショーケースに飾られた、最高級のシルクで作ったであろう男性用のバスローブが目に入った。それは、こげ茶とモスグリーンを基調に、紺色の縁取りがあって、芸術作品といっていいような風貌でショーケースの中でライトに照らされ輝いていた。「こんなの誰が着るのかしら。大富豪、それともどこかの国の王様。それにしても、今まで見たことがないくらい綺麗なシルク」。誰にいうともなくそうとつぶやいて過ぎ去った。ところが、ドイツ人の彼は、そのショーケースの前ではどうしても薄汚く見えてしまうバックパッカー姿でそのローブを躊躇なく眺め回し、同じようにため息をつき、店員を呼びつけた。「あなたには不相応です」とでもいいたげな不審な顔をした店員がしぶしぶやってきたのだが、彼は相手の態度をものともせずに、「これあけて見せて」という。そして、鍵をあけて仰々しくお出ましになったシルクのローブを従えて試着室に行き、袖を通して鏡を見た。とても似合っていた。50のダンディーな男性はやはりバックパッカー姿より、本来はこういうお金のかかったものの方があっているのだろう。

それにしても、お金もろくにないのだろし、こんなの試着してどうする気だろう。ここまでして買わないで返すならこっちまで恥ずかしいし、逆に、女性の手前あとにひけなくなっていらないものを無一文になってまで買うのなら責任を感じる。いったいどうしたものか。お高く留まった店員を前に大げさに聞こえるだろうが実際はじっとり汗ばむくらいの緊張を感じていたのだ。しかし、彼はまったくそのようなことは感知せず、安い電化製品でも買うときと変わらない調子でこういった。「品質がいい。とても気に入った。もらうよ」。そして、首からぶら下げたお財布から、さりげなくゴールドカードを出したのだ。たかがバスローブに何十万も払うお金があるのなら、なぜホテルに泊まらないのか、なぜ昼食は朝の残りのパンで作ったサンドイッチで、ちゃんとしたレストランには二日に一回しか入らないのか。確かにご馳走してくれることもあったが、そんなに頻繁でも、たいしたものでもなかった。なぜなのか。どういうことなのか。一瞬のうちに頭の中にたくさんの疑問符が走り、仕舞いには人のお金を自分のものと勘違いしてしまうくらい混乱したのだ。

ただ単に、ドイツ人はお金を持っている人がそれ相応のかっこをしているとは限らないとか、貧乏に見えても実はお金を持っている人が多い、とかそういう価値観の違いに驚いただけではない。この買い物の仕方が、「わざとらしく」でも「仰々しく」でもなく、これ見よがしさもなく、ごく自然であったことが一番の驚きであったのだ。何の気負いもなく、高級デパートに不釣合いな(見劣りのする)バックパッカー姿で躊躇なく入り、リュックを手に提げるように言われれば、はずかしげもなくそのようにし、第3者がどういう目で見ようと、堂々とし、買うものも態度も自分の意志で決める。自分がいい、欲しいと思ったものに払うお金の準備があり、しかるべき時には金額の大きさを気にしない。そういう潔さ。

実際、あれは客観的に見ればかなり滑稽なシーンであった。いい年をした貧乏旅行者が、見方によっては一生着る機会もなさそうな世界最高級のシルクのバスローブを買ったところで、どうするの、という目もあるだろう。しかし、本人からすればそれが何、あなたに関係ありますか、ということなのである。たとえ本当に家が非常に貧しく不釣合いな品だったとしても、自分が満足していれば、これを手元におくだけでうれしく、大切にすることで払ったお金を差し引いてもあり余るかもしれないのだし、実は本当は格好に似合わず豪邸に住んでいる裕福な紳士なのかもしれない。しかし、それを見ず知らずの他人に知らせる必要はないし、どちらにしても恥ずかしいことなど何一つないということなのだ。全ては自分が基準であって、他人の目による判断ではない。

基本的には、ドイツ人は倹約家で、飾ることを嫌い、合理的で、筋を通すのが好きな人が多いような気がするが、ひとたび「これはいい」と思うと、すべての理屈は立ちどまりに無効になり、このときのために待っていたといわんばかりに(他人から見れば)びっくりするような無駄遣いをする。そういうドイツ人が多いような気がするし、少なくとも周りにはそういう人がたまたま多い。そしてその全ての原型は、先ほどのハロッズのバスローブ事件に集約されているような気がしてならない。

とっても長い昔話。あの時はまさか自分がドイツに住むことになろうとは知らなかったが、思えば生まれてはじめてのヨーロッパ体験が、奇しくもこのドイツ人とのロンドン周遊だった。京都でお寺の学生ガイドをしていたときに出会った、ドイツ人の禅僧。とてもユーモアがあって、役者のようだった。英語の勉強をかねて「文通」を重ね、いつからか音信不通になったが、もしまだドイツのどこかで元気にしているのなら、今頃はもうおじいちゃんだ。あれはどこに飾ってあるのだろうか。使っているとは到底思えない国宝級の代物なのだから。

ドイツ人がけち、というのは何時、誰がいいだしたことなのか。実際そうなのかもしれないけれど、使うべきときに使う準備があるというのはそれはそれでいいことなのではと思う。少なくとも、人目を気にして無駄な支出を控えられない人のほうが、小さいような気がするのだ。とはいえ、ドイツ人の主婦になったこともなし、小銭が自由にならないとしたら、それはそれで耐えられないのだろうけれど。ただ、日々は堅実でいて、自分がここぞというときに人目を気にせず決める、決断力(そして経済力)があるドイツ人に対して憧れがあるのは事実。人は自分にないものに惹かれ、あこがれるものなのだ。
[PR]
by sommergarten | 2007-09-21 07:43 | 街角ブレイク

秋の夜長

太陽のイタリアから帰ってきたら、街はすっかり秋の装いになっていた。
気温は一気に10度以上さがり、20度以下。
ちょっと歩くとちょうどよい、さわやかな気候、
一年のなかでもカフェがもっともおいしく感じられる季節の到来だ。
透明感のある空気を胸いっぱいに吸い込んで散歩していると、なんと、めずらしいものに遭遇。
f0030774_5224043.jpg

ドイツでも、時代とともに新しいものに取って代わられてきたが、
かつては、どこででも目に入る平凡な光景だったはずだ。
今の時代においては、貧しさと、富、両方の象徴でもある。
一軒家で部分的に使って省エネ、節約に役立てている人もいるようだ。
f0030774_5294612.jpg

薄手のセーターをきて出かけた今日の青空市場で目に付いたのは、この香草群。
煮込み用のお肉を求め、一緒に明日の食事のためにコトコトしていると、
気持ちに余裕ができてきて、なんとなくゆったりした気分。
部屋もこころも暖かくなってくる。
就寝前に火を止めたら、一晩ゆっくり寝かせて、明日には食べごろになっているはず。
帰宅後あわただしく冷蔵庫をのぞいて、20分で作る料理も楽しくおいしいけれど、
たまにはじっくり、手間隙かけて、、、
めんどくさがり屋も上手にその気にさせてくれる、誘惑の秋。
f0030774_5554325.jpg

[PR]
by sommergarten | 2007-09-02 06:22 | 街角ブレイク

気まま・ベルリン百景 (七)

f0030774_7432895.jpg

ちょっと失礼。少々脈の乱れがみられるようですが。
...
背中に加わる物理的な重みに加え、プシュケの美しさが原因のようでございます。
...

旧ナショナルギャラリーのエントランスの石像に、さりげなく設置された脈拍測定器。全く何も、どこにも、但し書きがない。受付で尋ねてみると、これは湿気などを測定して、保存の状態を把握するための装置ということであった。まぎらわしいというか、気が利いているというか。

案外誰も気づかずに素通りしていく中、こっそりいたずらをしかけた共犯者のような気分で眺めていると、「ちょっと窮屈なのだが」とメルクリウスが今にも動き出しそうな錯覚に襲われる。
f0030774_815678.jpg

[PR]
by sommergarten | 2007-05-24 07:43 | 街角ブレイク

「いらっしゃいませ、お久しぶりです。」

f0030774_15361511.jpg

招き犬発見。
[PR]
by sommergarten | 2007-03-02 15:47 | 街角ブレイク

人気カフェの斜め前

f0030774_6285696.jpg

ふところが寒い人も、あたたかくなれる。
カフェは1.1ユーロから4種。
[PR]
by sommergarten | 2006-12-29 06:37 | 街角ブレイク

<番外編> 「築地」にて (京都)

「Be brave to be free (勇気を持って自由になろう)」
f0030774_15101523.jpg

To laugh is to risk appearing the fool
To weep is to risk appearing sentimental
To reach out is to risk involvement
To expose feeling is to risk exposing your true-self
To love is to risk not being loved in return
To live is to risk dying
To hope is to risk despair
To try is to risk failure

But the greatest hazard of life is to risk nothing.
The one who risks nothing, does nothing and has nothing -
and finally is nothing.

He may avoid sufferings and sorrow,
but he simply cannot learn, feel, change, grow or love.
Only one who risks is free.

(by Anon, the tittle by Aya)

「築地」
京都市中京区河原町四条上ル一筋目東入ル
075-2211053
最寄り駅・京阪四条、阪急河原町駅すぐ
[PR]
by sommergarten | 2006-11-22 15:12 | 街角ブレイク

気まま・ベルリン百景 (六)

f0030774_14545433.jpg

典型的な、夏の日のカフェ。

ベルリンには中庭のある集合住宅が多く、したがってカフェに中庭があることも多い。建物の構造上、たいていは通りに面しているカフェの奥に中庭へとつながる出口がある。天気のよい日、人っ子一人いないカフェに遭遇したらそんな中庭のある可能性が大。

ベルリン風のそっけない「Hello」の短いひとことさえもらえず、誰もいないカフェをあらためて眺め回してみると、どこかで目にとまるこの書き置き。
「wir sind im Garten!(私たちは庭にいます!)」

無愛想な挨拶だこと、そう思いながらしんとしたトンネルをぬけると、緑につつまれた太陽と人の陽気が、言葉にかえて歓迎してくれる。
[PR]
by sommergarten | 2006-09-20 14:57 | 街角ブレイク