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「GAGARIN」 (Prenzlauer Berg)

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「地球は青かった」

この言葉、一度は耳にしたことがあるのではないだろうか。
世界初の宇宙飛行で、大気圏外から眺めた地球の印象を語った有名な言葉。
ではだれの言葉かということになると、答えられる人はどれくらいいるだろう。
かくいう私も、このカフェに偶然入るまでは知らなかった。
このカフェは、彼の名前に由来しているのだ。

その名は「ガガーリン」。
正確には、ユリ ガガーリン。
人類としてはじめて宇宙飛行を成し遂げたソビエト連邦の宇宙飛行士。
身長、157、5cm。

集団農場で働く両親を持つ、4人兄弟のうちの3番目だった。
貧しい労働者階級出身の彼が、大勢の候補者をさしおいて選ばれたのは、エリートでない分命令に従順である上、とても人なつこい性格だったことがあげられている。また、その生い立ちと立身出世がロシアのプロパガンダとして効果的であったからだともいわれているが、その身体的特徴が小さなコックピットに好都合だったという説も有力だ。

確かに愛想がよくて体の小さいロシア男というのは希少価値がある。もちろん彼はトレーニング中の成績においても優秀であったが、選考時には成功した暁にロシアのプロパガンダとなるにふさわしい人ということに重点が置かれていたようだ。

彼の二人の兄弟は第二次世界大戦中、ナチによりドイツにさらわれている。
ヒトラーは国粋主義を唱えゲルマン民族の優秀性を容姿の上でも主張していたが、反面、金髪の北欧系人種に対してはコンプレックスや憧れをいだいていた。そのため彼はその親衛隊に美少年少女(こども)を東欧やロシアなどから連れ去るよう当時命じていた。そしてそれらのこどもたちは「完全な」ドイツ人として育てられていたという歴史があった。たとえばポーランドから連れ去られたこどもの数は20万人に上るといわれ、そのうち帰国したのはたった1万人ほどだという(「ナチス追求 ドイツの戦後」望田幸男著から)。
ユリはのがれたが、兄弟がさらわれたことを考えると、その悲劇から皮肉にも彼の容姿が端麗であったことはうかがい知れる。

ガガーリンが宇宙飛行を成功させたのは1961年の春。

彼のさわやかな笑顔は、ロシアの偉業を世界に広め、その日を境に彼は世界の一流セレブの仲間入りをした。彼は持ち前の明るい性格でマスコミなどともうまく渡り合っていたが、半年後には超多忙な日々の連続に過労とストレスでダウン。ひそかに深酒もすすんでいた。しかし、その翌年には日本を含む世界28カ国を訪れ、世界のヒーローぶりを発揮、ロシアのプロパガンダとしての任務をしっかり果たし得た。ただ質問が専門的なことに及ぶと答えられなかったりしたことから、替え玉説が飛び交ったりすることがあったようだ。

ガガーリンは妻とこどもを大切にするよき父でもあった。
家族は彼から授けられた特権階級の美を感受し、幸せだったし、彼は愛するこどもたちには最新のおもちゃを買い与えつづけた。数年後、変わらず幸せな家族の絵の中で、しかし彼はこう言った。

「宇宙飛行士であることは私の職業である。しかし、その職業を選んだのは、たった一度きりの飛行を成功させるためではない」

彼はまた飛びたかったのだ。それとも飛びたくなったのか。
それは、ちょうど彼のセレブとしての生活に影がさし始めていた頃であった。
これはもはやヒーローの叫びではなく、一人の人間の切実な願いだったのかもしれない。

しかし、皮肉なことに飛行訓練をはじめた翌年の1968年、テスト飛行中に飛行機が墜落し彼は無念にも謎の死を遂げる。
たった34年の、決して長くはない、しかし力強い命であった。
世界は突然の知らせに衝撃を受け、なぜ、どうしてとつづく。
このときも諸説が世界中を駆け巡った。

数々の憶測の中で有力なものの一つが酒帯だったという説。
しかし、これは2005年、つまり去年になって信憑性がないことが証明されたということになっているようである。ロシアの報道によると、突然の操縦トラブルにより飛行の自由が利かなくなり墜落は免れなかったが、彼が脱出を全く試みないで最後まで機内に残ったのは近くに学校があったからであった。われらがロシアのヒーロー、ガガーリンはこどもたちの命を救うために、自分の命を顧みず最後まで操縦室に残って、学校に激突するのを避けた、ということになっている。

彼は現代の科学技術の進歩を証明した当時の世界のヒーローであった。
ロシアにとっては永遠のヒーローだ。

そして、何もかも本当のことはすべて、空に消えた彼だけが知っている...
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カフェ「ガガーリン」のメニューのはじめにはこんな但し書きがある(以下一部抜粋)。

「このカフェの名前は、ロシアが生んだ世界初の宇宙飛行士の名前からとりました。
世界に羽ばたいていった彼が子供時代につちかったソビエトのイデオロギーと思考がドイツに入ってきたこの場所で、社会主義的、伝統的なサービス文化を提供いたします…

まず、この店に入ったら大きな声ではっきりと挨拶してください。
店員も人間ですから、入ってきたことがこれではっきり理解できます。
しかし、返事は期待しないで下さい。静かに安全な席について、誰かが気付いて注文をとりにくるまでじっと待っていてください。注文するときは、どもったり余計な質問をしないで、はきはきと行なってください。

注文したものは絶対に来ますので、時間がかかっても心配しないことです。
ここは、アメリカのファーストフードのチェーン店ではありません。
ここは「ガガーリン」であって「アームストロング」ではないのです。
でもあなた方は、そんなことは知らないでしょう。
ピサの学力テスト(注:世界共通学習能力到達テスト)が明らかに物語っています。
しかし、ロシアのことわざに「人は学ぶことをあきらめてはならない」というものがあります。

給仕は先ずはじめに近所の37歳以下の人から優先的にされます。
彼らには10%の割引という得点もあります。
次はベルリン市民です。もし勇気があるなら値段交渉は可能です。
ただし、最後に給仕される観光客からは10%の超過料金を頂きます。

観光客への注意点;
ロシアのことわざに「旅する人は自分の持っているものをほかの人と分け合うべし」というものがあります。カメラ、ビデオなどを友好の印として頂くことがあります。

苦情につきましては書面にてロシア大使館にお送りください。
もしくは個人的に私共のところに受付時間内に来てください。受付は毎週日曜日の18時から18時10分までですが、万一遅れた場合には厳しく処罰されます。」

<追記>
実際のサービスはまったくもってドイツの標準で、遅いわけでもなく、大きな声で挨拶しなくても気付いてもらえる。たとえ旅行者でもカメラを没収されることはない、おそらく。
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GAGARIN
KNAACKSTRASSE 22/24
10405 BERLIN
TEL 030 4428807
(U)EBERSWALDERSTRASSE
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by sommergarten | 2006-01-31 11:39 | cafe

クリスマスツリーはどこへ行く

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クリスマスツリーの飾りは1月6日まで。
それを過ぎると、ツリーのデコレーションは丁寧にとって、箱に収められ来年を待つ。
そうして、裸になったもみの木の運命はいかに?

この時期に住宅街の歩道を歩くとこのように各家庭から出されたもみの木に遭遇する。
家の前のこの道でも、歩道に沿ってならぶ街路樹の根元に2、3本ずつ立てかけられその後の回収を待っていた…

観察してみると、ツリーの大きさは2メートルから3メートルが相場のよう。
古い建物ほど天井が高く、3メートル程の大木のツリーも入ってしまう。来客時には大きなツリーのことをそれとなく誇らしげに語ったり、こどもでさえお店の前で「それはいやだ、こっちのもっと大きいのにしてよ、ママ!」とおねだりしたりと、大きいほどよい。ドイツ家庭ではあくまでも本物の生木が飾られ、プラスチック製のおもちゃのツリーはお店で見かけるくらいである。

伝統的にはクリスマスの前日に飾るならわしだが、最近は少々前倒しになっている様子。しかし、早く飾りすぎると部屋の中でももみの木の葉が乾燥しすぎてぽろぽろ落ちてきて掃除が大変なので、長く持たせるためにも、早めに買っておいて、バルコニーなど涼しいところに出して保管しておき、直前に飾るのが平均的のようである。

もみの木がはいった部屋は、森の中にいるかのような強い木の香りが充満する。
種類によっては葉の先がとがっていて、ちょっと触れるだけで痛いものもあり、目だけでなく体全体で感じることが出来る季節限定の人気者だ。
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<上・ブランデンブルグ門前のもみの木のツリー>
<下・日本のデパートがお手本にしたKDWというベルリンのデパートのデコレーション>
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ドイツの街の中で見かけるツリーは、ニューヨークや、東京で見るそれとはスケールが違い、いささか質素な感もあるが、電光や生木でないツリーはドイツ人にとってはあまり意味がないからこそ大々的には飾られていないような気さえしてくる。

ドイツ家庭ではツリーは各家庭の一番目立つ場所にすっくと立ち、その時期の何より誰よりも存在感を放ち、求められ、人の心を躍らせるもの。飾りつけが終わった後に部屋の照明のトーンを落としてツリーに明かりを灯すと、大人も子供も、いっせいにため息をもらさずにはいられない。厳かに美しい。たった一つのもみの木ごときに、そんな感動の瞬間を感じたり、分かち合ったりすることが可能なことに自分自身も当初は驚いたが、それからは掃除が少々大変でも、毎年欠かさず自分の背丈ほどの、形のいいツリーにお世話になっている。

そんなクリスマスツリーの飾りも1月6日まで。
それを過ぎると、ツリーのデコレーションは丁寧にとって、箱に収められ来年を待つ。
そうして、裸になったもみの木の運命はいかに?
とふりだしに戻るのだが…

「今年もどうもありがとう」と送り出したクリスマスツリーの行く先は、実はここ。
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1884年創立の世界最大級のベルリン動物園。
いつもは親としての任務で娘と通う週末の動物園も、年明けは「象がクリスマスツリーを食べる姿を一目見る」という目的意識も手伝って寒い中楽しみに出かけていったのだが、時すでに遅し。ちょうど食後だったようででツリーの幹の山だけが証拠品として残っていた。肝心のぞうさんはといえば寒さがこたえるのか、食後はさっそく温かい室内に引っ込んでしまい、わらの上にまるくなっていた。写真は夏の元気な一枚。

ドイツの象は、ただ大きくて目がかわいいというだけではない。
環境大国にふさわしい、資源の有効活用に一役買っている本当のスターなのだ。
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動物園の正門から見えるお月さんと、こま犬ならぬこまゾウに「また来週」。
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by sommergarten | 2006-01-22 22:49 | 街角ブレイク

晴れた日の午後

零下つづきでカチコチの公園のかわりに今日はカフェに集合(?)。
アヴァンギャルドなカフェが突然ほのぼの系に映るが、
中はさぞかし殺気だっていることだろう。
ひさしぶりに太陽が顔を出した日、道すがらのカフェの前で。
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by sommergarten | 2006-01-19 15:19 | 街角ブレイク

「CUM LAUDE」 (Mitte)

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ペルガモンに旧博物館のある世界遺産の博物館島、ベルリン大聖堂に国立オペラ座。
たくさんの肌の色でひしめきあう観光船を送っては迎える運河を超えると、レトロなベルリンのトレードマーク、テレビ塔がそびえたつ。

ブランデンブルグ門から仰々しくつらぬく大通り、「ウンターデンリンデン(=菩提樹の下)」通り界隈は、ベルリン観光でははずせないスポットが目白押しである。「舞姫」にも登場するこの有名なウンターデンリンデン通りは、かつては貴族の狩猟場の、今は市民公園として残るティアーガルテンへ向かう貴族達の乗馬道、つまりはただの田舎道だった。現在は様変わりして、土産物屋やレストラン、カフェが立ち並び、絶え間なく世界中から訪れる観光客を軽々と吸い込んでしまう程である。

そんな観光客専用地区とでも呼べそうなベルリンの真中に、地元民に混じってローカルな雰囲気を味わえるとっておきのカフェがある。その名も「Cum Laude」。これはラテン語で博士試験時の成績をあらわす「良の成績で」の意。6段階評価の3番目にあたるので(4番目までが合格)、何とか無難に及第点という感じだろか。

名前が示唆しているように、これはフンボルト大学内にあるカフェテリア。しかし、対極に位置するボリュームだけはまかしてくださいというスタンダードな学生食堂ではない。かつては教授専用の食堂であったもので、セルフサービスではないし、クオリティーも普通のカフェやレストランと同等である。現在も教授やその家族や(こどもたちもふくめ)、その恋人、友人、大学関係者の常連に愛されながら、公のカフェ・バー兼レストランとしてリニューアルオープンされて久しいのだ。

もともとは教授用だけあって、味も雰囲気もなかなかのもので、サービスも比較的早く、安い。メインホールでカフェだけを頼んでももちろんよいが、モノトーンの落ち着いたカフェ・バーのコーナーもある。たしか2年ほど前だったか、ベルリンのある情報誌の昼食部門で「TOP10」に選ばれたことがあったほどの定評。
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大学の正面に看板がでているはずもなく、この奥に一般向けの普通のカフェ・レストランがあるとは想像できないし、裏手の入り口は建物の脇のかなり後方にちいさなドアがあるだけなので知らなければ気がつくチャンスさえほとんどない。

学食の延長であるから基本的には砕けた雰囲気なのだが、場所が場所だけに客層がかなり限定されていて、これ見よがしではない(これ見よがしにする必要がないというべきか)心地よいインテリの空気が漂う。しかし何がしの者に対しても排他的ではない。ここは全ての人に平等に開かれている(べき)教育の最高機関、大学なのだ。自分の陣地で緊張感をゆるめた彼らのとめどない、しかし決して声高ではないおしゃべりを静かなBGMに、カフェをゆっくり味わえる。

ノーベル賞を受賞したアインシュタインは、当時の世界では研究の最先端にあったこのフンボルト大学にたどりついた一人である。2005年は彼が後世に残る偉大な発見の数々をして「奇跡の年」とよばれる年から100年目ということで、ドイツでは「アインシュタイン年」と銘打っていろいろな催しものが各地で行なわれ、今も街には彼の影が見え隠れする。ベルリンの街を歩けば、子供のいたずらのように突如として建物にかかった垂れ幕や、路上の印刷に彼の残した数々の名言が飛び込んでくるのだ。こんなとこにあっても誰も気付かないだろうに、と思うのだがきっと同じようにこっそり気付いている人がたくさんいるに違いない。

大学にもこのように(さて、おわかりだろうか)アインシュタインの言葉が掲げてある。
「私にはこれといった才能があるわけではない。ただ情熱的に好奇心が強いだけなのだ。」

5歳まで言葉も話さず知能の遅れを懸念されたとか、大人になってもスペルの間違いが多く、かの有名な舌を出している写真は学生にスペルの間違いを指摘されて茶目っ気で答えたものとか、音楽を愛したバイオリニストではあったが、調子が外れていたこともままあったとか、彼にまつわる逸話はとても楽しい。

一般的にこどもは2歳前後から会話らしきものをはじめるのが定説であり、高等教育を受けて大学で教鞭に立つごとき人間が母国語のスペルをよく間違うとは恐らく考えることのできない挙動(快挙)であり、まわりの人にとって調子はずれの(そうだったとして)下手なバイオリンを聞かされるほど迷惑極まりないことはなかっただろう。

しかし、彼は気さくでユーモアのある人であったし、ノーベル賞受賞者であり、今は亡き人である。現在では、彼が5歳まで言葉を発さなかったおかげで、ものごとを統括的に考える力を人一倍はぐくむことが出来たと評価する向きもあり、信じられない間違いを指摘した輩を一喝するために出した舌の写真が人気の絵葉書として世界を駆け巡り、下手の横好きでも(そうだったと仮定して)音楽がいかに人の独創性や情操や社交などに一役買うか、皆もが考えさせられることになった。

今に残る記録をいくらか見る限り、彼は生まれたときからずっと同じ彼でありつづける努力をした稀有な人であるのはうかがわれるが、その一貫性がまわりの人間の考え方を一貫させなかったという点が興味深い。正確には通説を変えざるを得なかったというべきだろうか。しかし、それ以前に彼の憎めない人としての愛らしさや、がんこであったといわれる人間的な姿が人の共感を呼んだのであろう。もちろん彼の地道な努力と、まじめな姿勢、業績と名声もあってのことだが、彼の死後もこうしてひとびとの心のなかにそれぞれの「アインシュタイン」像を作り上げることになっているとは、彼は本当に偉大である。
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大学の正面玄関から中にはいり、目前にある階段の左にある中庭につづく扉をぬけ、中庭にそって左側の一番奥にある扉をあける。その扉を開けて右に「Cum Laude」につづく扉がある。ちなみに、左の扉を開けるとセルフサービスの正真正銘の学生食堂。方々に散らばるキャンパスとタイトな時間割のおかげでかなり短くなった休憩時間を気にしながら、お盆を持った学生がならんでいる。

極端に具の少ない大盛りのパスタを食欲に任せていそいそとかきこみ、カフェよりもアップル・ショーレ(リンゴジュースを炭酸水で割ったもの)でのどをうるおす姿がチープなインテリア(と呼べるかどうかもさだかではない)とマッチしている。そういう点では日本の学食と全く同じでとても懐かしい。一方、その反対側の扉の向こう、こちら「Cum Laude」では、比較的優雅な世界が広がり、ジュースよりカフェが優勢。加えて、たいていのメニューには新鮮な生野菜がたっぷりついてくる。

ドアをはさんで向かい合う二つの世界には大きな隔たりがあるが、教授の学食は一般にも開かれることとなり、一般と学割の二つの料金設定がある。また顧客獲得のためのサービスか、翌日の定食リストが毎日メイルで送られてくる。安かろう悪かろうであったはずのお隣の学生食堂にも、時代の流れをくんでかヘルシー志向のために格安の「ビオ(オーガニックな)メニュー」がお目見えしている。

向かい合う両側の扉が完全に開かれることはないだろが、実のところそれを望んでもいない。正確にはそれぞれの持ち味を残しつつ、誰にでも開かれた場所であり続けて欲しいと願うばかりである。

「Cum Laude」
Universitaetsstrasse 4
(U)(S)Friedrichstrasse
Tel. 030-208 28 83
Open Mon-Fri 8:30-23:30, Sat 12:00-23:30, Sun 11:00-21:00
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by sommergarten | 2006-01-15 20:46 | cafe

Let`s go to Cafe!

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あなたにとって、カフェはどんな場所ですか

のどの渇きを癒す場所
暇つぶしの場所
待ち合わせの場所
集まる場所
読む場所
考える場所
誰かと、または自分の心とおしゃべりする場所
買い物帰りに一服する場所
ただ、ほっとする場所

人の数だけカフェの役割があり
時の数だけカフェの演目は変わります

しかしいつ何時も変わらない唯一のものは主人公のあなたであり、わたし
カフェの雰囲気に溶け込み、染まっているように見えて
実際にカフェの空気を作っているのも、それをどう感じるかも自分次第

ちょっと嬉しいことがあったとき
偶然に入った、なんでもないカフェが特別に感じられることがあれば
高級ホテルのコーヒーラウンジの豪華さが、かえって冷たく感じられる日もある

自分のおかれた状況やまわりの環境、その時、心のあり様によって
選ばないようでいて、人は全ての行動と感情を自分で選んでいます
カフェにいくか、行かないか、どこに入るか、何を飲むか
どう過ごすか、何を感じるのか
変わらない習慣や、変化するテイストをみても
振り返るとそれは自分の心や、生活の歴史を映し出すサイドミラー

カフェは人が生きるために必要不可欠なものでなく
自分を取り巻く状況と、気分に応じて
生活にはいってきてもいい、という程度のもの
究極な話、生産性のない無駄な時間に無駄なお金

しかし、そういうムダやロスが人の人生を豊かにしてくれることも不思議な事実
そういう「あそび」をどう扱うか、そこからもその人の色が見えてきます

わたしにとってカフェは、ここ数年来、愉しい人生の道草の場所
旅にでることなく日常に埋もれた自分を非日常にいざなってくれる貴重な空間で
日々のルーティーンから脱線した、気楽な無責任地帯

同時に日々の暮らしをちょっと向こうから眺めて、
ささいな日常、ご飯が食べれるとか、こどもが大きくなったとか、
そういうことに素直に感謝できる気持ちを回復する場所でもある
母でも子でも、妻でも、会社員でもない、どこにも所属しないひとに戻る場所

そんな場所を、エーゲ海クルーズの豪華客船や、趣味のアトリエ、
お稽古事に確保しているひとも世の中にはいる様子

しかし、世界の果てまでいこうと、日常はその後にもれなくついてくる
先立つものがなければ、燃費も悪い

カフェなら、すぐそこにあり、たったコイン数枚で、簡単に手にはいる場所
そこでは、日常のすぐ隣で、旅行と同じように非日常を満喫でき
その気さえあれば誰にでも、今手元にある幸せに
幾分か余計の幸せを、ささやかながら追加することもできる

「このコーヒーおいしい」「あったかい」
たったそれだけのことで幸せな気分になれるなんて、人は案外単純なもの
室生犀星曰く「人の幸せはお天気次第」。

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このブログでは、わたしが気に入ったカフェを気ままに紹介していきます
ドイツ人はカフェが大好きで、ドイツには居心地いいカフェがたくさんあります
特にベルリンは個性的なカフェの宝庫です

情報が少ないベルリンの今の姿を、カフェ・シーンを通してみなさんと共有できれば
そして、ベルリンの、あるいは近所のカフェにすら行く時間がない方にも
ひと時、一緒にカフェ・トリップを楽しんでいただけたらと願いつつ
ゆっくりと気ままに更新していきます。

ようこそ「気まま・ベルリン・カフェ巡り」へ!
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by sommergarten | 2006-01-03 20:51 | ごあいさつ