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「Molinari & Co」 (Kreuzberg)

この夏に出会ったカフェ。夏の忘れ物。
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新聞を広げたいくつもの後姿の最後尾に陣取ると、絵本や画用紙、クレヨンをテーブルいっぱいに広げる。すると、どのテーブルよりはやくケルナー(ウェイター)が注文をとりに来た。じっとしていられない3歳の幼子の顔は、ドイツでは定番の(かなり)のんびりとした給仕に効く唯一の特効薬。通常カフェはゆっくりとするところであるし、慣れもすれば待っている時間も貴重なお茶の時間のプロローグとして愉しめる。しかしそれはからだの周りを巡る気の流れの速さをある程度自由にコントロールできるおとなの場合であって、常にめまぐるしく気が巡っているこどもたちにはこのような流暢なサービスは通用しない。「じっと我慢」というのがまったくできない生物なのだ。

走り回るちいさな子がいたとする。こういう場合、しつけがなっていないと考えたり、子供をしかってじっとさせようとする親も多いと思うが、ドイツではそれはほとんどない。3、4歳くらいまでは、しかると「こどもはこういう生き物よ」とこどもの味方だ。こちらでは小さいこどもが公共の場で走り回ってしまう場合、選択は大まかにふたつ。その場をすぐに立ち去るか、静かに、ほかの人に迷惑をかけずにという制約が守れるなら自由にさせておくか、である。そんな暗黙の共通理解の下、自分の子供であろうがなかろうが、みんなが協力し合う。

ドイツ社会の特徴は、個人主義が確立されている一方で、公共の場での理解がすすみ助け合いの体制ができていることだ。何ができるかできないか、それがはっきり認識できれば、できないことはできない人に無理強いせずに、まわりが歩み寄って助けてあげないといけない、助けてもらわなければいけないという認識と、行動力がある。カフェも一つの公共の場で、小さな社会である。その社会でなんども助けられ、自然に助けられるひとびとを見てきた。ベビーカーだけでなく、車椅子や、盲人や、ゆっくりしか歩けないお年寄りが当然の顔をして普通のカフェに入ろうとすると、ケルナーがさっとドアを開けにきたり、机や椅子をどけてスペースを作ったり、ケルナーが見当たらないときは近くにいる客さえもが即座に腰を上げて手を引いたり助けたりする光景を何度も目にしてきた。そしてそれはほめられることでもないほどの当然の普通の所作である。もちろん助けてもらった人はありがとうというが、それには「どうも」という程度の響きしかなく、お互いにとても気が楽な助けあいの姿だ。
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さて、注文。ケルナーが幼子の気をひいているうちに、さっとメニューに目を通して二皿頼むと、「食べきれないだろうからおちびちゃんとふたりで一皿にしたら」。親切な助言にそって無事注文を済ませると、ちいさなエネルギーのかたまりはもうすでに椅子から飛び出していた。

さわやかな夏の盛り。気がつくとそれは、店の隅にひっそりとたたずむはだかのえもんかけにぶら下がり、そのまわりを猛スピードでぐるぐるまわっている。やめさせようとすると、どこからか「大丈夫」。お皿を運ぶまた別のケルナーがウィンクをして急ぎ足で通り過ぎ、戻り際に柱が安全かどうかを確認してからまた笑顔でキッチンに消えていった。

超特急で運ばれてきたオムレツは、シンプルなものなのだが、素朴で懐かしい味がした。一皿を二人で食べた後、またもう一つ追加注文して、また二人で食べた。その間なんとか静かに遊んでいられたのだ。これはこの年頃のこどもにはとても難しいことである。それだけ居心地がよかったのだろう。こどもは雰囲気の良し悪しを即座に読みとってしまう天才だ。こころが透明だからだろうか。

ベルリンのカフェはたいていそうだが、大人の、こどもを見る目がとくに柔らかだ。犬に対するまなざしもしかり。カフェを愉しむ大人たちの間をぬって、静かに遊んでいるいるこどもたちの視線の先には、ご主人様を待っている散歩途中の犬たちののんびりした姿。カフェを片手におとなたちの優しい目がそのもうひとつの小さな世界を交互に見守っている。

ここ、Kreuzbergはコスモポリタンなベルリンでもとりわけ外国人度が高い地域なのだが、なかでもこのあたりがいちばんしっくり来る。肌の色がバランスよく適度に交じり合い、こどもがいて、犬がいて、木が茂っている。風が自由に通り抜けて、みんないっしょにいながら、めいめいが自分のペースでカフェを愉しめる。

MOLINARI & Co 
RIEMANNSTRASSE 13
TEL.(030) 691 3093
(U)GNEISENAUSTRASSE
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by sommergarten | 2006-10-26 05:30 | cafe