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3ヶ月ぶりに淡い期待を抱いて、通勤路からはずれて歩く。駅から近いというのに、メイン通りの裏手、逆方向の何もない場所の途中。通りすがりで見つけてもらうとすれば、近所の人だけに違いない。席数は10席くらいの小さな手作り風、おみせやさんごっこ風のカフェ。混んでいることはなく、いつも静かなのだが、一人、二人はかならず先約がある。または客足が入る。

「...以前来た時もまだでしたけど、いまだにないのですね」
「そうなの。そういえば何度かきてくれたことあった、わよね」
「ええ。今でオープンしてどれくらいになるんでしたっけ」
「9ヶ月よ」
「実は個人的にカフェのことを書いているんですけど...」
「ベルリンにはいいカフェがたくさんあるものね」
「しかし、ここだけですよ、ベルリン広しといえど名前がないカフェというのは。」

ケルナリン(ウェイトレス)の話によると、店の通称はほぼ決定の候補があったのだが、オーナーがどうしてもそれに決められず、後回しになっていたとか。納得がいくまでとことん考えるというのはなんともドイツ人らしい。悠長な時間感覚も。

「オープンするのに、この棚もあれも、もちろん買わなきゃいけなかったじゃない。そのうちにお金がだんだんなくなってきてね、看板は結構かかるから、もう買えなくなくなっちゃったのよ」

それでも別段の不便はないという。確かに知っているカフェでも名前を覚えているものばかりではないことを考えるとうなずけるのだが、しかし名前は店の顔のはず。一人でも多くの人に我を覚えてもらう、あるいは思い出してもらうために、間違いなく必要なものではないのか。自己主張の蔓延したこの時代にこの謙虚さはどうしたことだろう。おもわず立ち止まり、不思議に思い、そして惹かれる。

工夫を凝らした名前や、表現するものや人が氾濫する世の中、静かにひっそり生息している。それは熱帯魚の水槽の中できらきらと泳ぐ魚の群れの脇で発光していない魚だ。あるいは岩陰に隠れた身奇麗な小魚。名前のないことが、あるいは立ち向かってくるような存在感の欠落が最大の自己アピールになっている。これは偶然か、それとも。

この時代に生きていないようで、実はしっかり根を張ってしたたかに生きていきそうな、名なしのごんべえ。またしばらく後にのぞいてみよう。今度は、まだ名前がついていないことを密かに期待して。
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by sommergarten | 2007-02-03 15:06 | cafe