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Schleusen Krug (Tiergarten)

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東京23区の約1.5倍と比される巨大都市ベルリン。しかし特筆すべきは、その大きさ自体ではなく、この街の約30%を自然が占めているということである。ここでいう自然とは、緑地公園や、街路樹、森林地帯のほか、河川、運河、湖、池や沼を含んでいるのだが、観光ポイントを移動するだけで、この街の緑の多さに気づく人は少なくないはず。ゆったりとした都市、あるいは田舎くさい街、と評されるのは、この緑の多さが影響しているように思う。

地図を広げてみると、わかりやすい。緑色の部分が多いのが一目瞭然だ。観光ポイントが集まる市中心部の真ん中にも、緑色が大きく横たわっている。これは、ティアガルテンとよばれる公園だが、森林地帯といっていい趣である。その昔は王侯貴族の狩猟場だったというが、18世紀にフリードリッヒ大王が、王宮から夏の離宮であるシャルロッテンブルグ宮殿につづく道をつくらせ、19世紀に入ってから市民公園として整備されて今に至っている。ブランデンブルグ門を境に、西の方向に2キロ、南北約一キロにわたって街の中心をゆうゆうと陣取っている深い緑地帯。その真ん中に大きな自動車道が貫通しており、中心の戦勝記念塔の上では、「天使」が舞い降りた女神が微笑んでいる。

このティアガルテンは夏には市民の憩いの場となる。とはいっても、ドイツでは基本的なお約束として、こういう場所では緑を傷めないようBBQ(バーベキュー)は禁止。散歩道は整っているし、ベンチはたくさん配置してある。人間はこれらの場所から生き生きと茂る緑を眺め、未来の市民へ自然を温存しながら、森林浴の恩恵にあずかるのが理想的な姿だ。環境に優しくしようとすれば、人に厳しくなってしまうのが常。人間を甘やかせば、往々にして未来の自然を痛めつけることになってしまうのだから。そしてドイツでは、人間の刹那的欲望よりも、未来に生きる自然を思いやって我慢しようとする人口が多いような気がする。過去の歴史についてもそうだが、何かを残す、守る、ということにかけては他の多くの先進国よりも熱意があるように思う。緑に関してもそれは顕著だ。

市の南西に位置する植物園、Botanischer Garten(ボタニッシャーガルテン)を訪れたときは、果てしなく続くなだらなかな芝生の上に、誰一人として見かけなかった。300年の歴史を誇るこの植物園では、BBQどころか、ピクニックも厳禁なのである。その鮮やかな緑の絨毯の上には一点の汚れもなく、まるで映画のセットのような光景であった。まれに、隅のほうで遠慮がちにサンドイッチを広げて座るカップルがいたりすると、見回りの警備員がすぐに注意をしに行き、遠くにありすぎて見えないが、おそらくはベンチのある方向を指差していた。さすがに高い入場料を取るだけあって、管理が行き届いている。しかし、十分な数のベンチと、カフェ・レストランがあるとはいえ、芝生に寝転がり、ごろん、ごろんと芝生をぺたんこにしながら転がっていってみたい衝動に駆られるのが、人間の性ではなかろうか、などと弱い心がつぶやいてしまうのだが、この法の下では、人よりも、植物の威厳のほうが大事なのである。そもそもは、人が勝手にとり決めた、狭い枠内での威厳であるにしても。
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ティアガルテンは街の真ん中に位置し、入場料も取らない広大なだたの公園である。したがって、ある意味で「自由人」の標的になっている。タブーを承知かどうかはわからないが、特定の国籍の外国人が集まってきては、あちこちでモクモクと煙を上げてBBQを楽しむ姿が夏の風物詩になっている、ということを聞く。実際にその場所をくまなく歩いて回り、すべての人の国籍を調査したわけではないため、一つの国籍だけなのか、ドイツ人は本当に一人もいないのか(実に怪しい)、そのあたりの真相はさだかではない。しかし、それはさておき、この大都市の真ん中で、すばらしく気候のよい夏のさわやかな日に、果てしなくつづく緑の中でBBQを楽しみたいという気持ちは非常によく理解できる。「あれはけしからん」といい放ち、この公園に絶対に寄り付かない一部のドイツ人の存在を知りながらも、個人的には情状酌量の気分である。

このあたりを通るたびに気になっていたこの話題は、とうとうレポタージュとしてテレビにも登場した。ティアガルテンを見回る警備員の姿を追った、ドキュメンタリー番組だ。やはりここでお約束のように登場したのが、前述のBBQ市民とのからみである。しかし、ふたをあけてみると、厳密に言えば、この公園では全面的にBBQ禁止なのではなく、木から何メートルか離れていれば問題ないとのことであった。ところが、BBQ市民からは、木陰だからこそ楽しめるのであって、直射日光を浴びながらBBQなどやっていられない、という対抗意見がでてきた。なるほど、である。木陰で快適に夏のBBQを満喫する市民の権利を主張するBBQ市民と、その一番快適な場所でのみ禁止を厳しく取り締まることで寛容に対処しながら、自然を守るために少しでもその絶対数を減らそうと試みる管理側の確執が興味深い。気にするべきでないとは思いつつも、気になる国籍に関しては、最後までベールに包まれたまま。普通のテレビ番組でも、裸体やひいては恥部のアップ、手術中の局部や患者にさえモザイクを入れない国で、犯罪を犯したわけでも暴れたわけでもないこのBBQ市民の顔に、非常に稀なことにモザイクがかかっていたからだ。それだけ社会的注目度が高いということであろうか。
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多国と国境をともにしているお国柄、ドイツにはいろいろな文化的背景を持った国籍の人間が地続きでやってくる。特にベルリンは、その昔から外国人、戦争難民や、宗教難民を積極的に受け入れ、自由な思想を求めて、またはそれを創りに芸術家が集まってきた街。西と東が別れ、また一緒になった街。異質なものを、異質なまま受け入れ、共存を試み、それによって自由な気風をはぐくんできたという土壌がある。好む、好まざるにかかわらず、外国人、異文化を包括してしまうことができる懐の大きな街だ。

そうして、なにもかも片っ端から受け入れてきた結果、かえって浮き彫りになってきたのが、ドイツのお国柄である。そのうちの大きなものの一つは、生活に緑を必要とする人種ということではないだろうか。

家の外ではなるべく自然で手付かずの、または人工的に守られた緑であるならそれを痛めないようにして、散歩や森林浴にいそしむ。家の中では観葉植物を生き生きと繁らせている。育て方が上手なのか、風土にあった植物を上手に選んでいるのか、室内の高い天井や、大きな窓を覆ってしまうくらいまで背が伸びたものや、家族同然のような存在感を放っている植物もよく見かける。これらはセカンドハンド市場で売りに出されることもあり、その値段がまた途方もなく高い。ドイツ人は、基本的に金銭的にとてもシビアだと思うが、なかでも競争が激しいセカンドハンド市場で、おそらく引越しなどのやむをえない事情があるのだろうが、大きく育った観葉植物が高値で売りに出されていることがあるのだ。

たとえば、ベビーカーを例にとると、500ユーロで購入し、兄弟だけでなく孫の代まで使用できそうな頑丈なものが、3年後には100ユーロになるかならないかというのが最近のセカンドハンド世界の常識らしい。しかし観葉植物となると話は別だ。2、30ユーロで買って育てて数年、あるいは十数年で、元値の何倍もの値段がつけられている。時間がたてば古くなる物ではなく、生きて大きくなっているのだから当然とはいえ、観葉植物が他の生活必需品顔負けの高値で売れるということ自体が不思議である。中古の家具なども通常は定価の何分の一かで売りに出され、場合によっては観葉植物よりも安いのである。需要と供給のバランスが取れているのだろう。

ドイツ人の自然志向、植物嗜好には、日々驚かされ、学ぶことも多い。その延長線上にあるのか、そうでないのか、日々の生活は質素で無目的な浪費があまりない。だが、けちとよべるほどせこせこはしておらず、むしろゆったりと構えている風なのだ。朝晩の日々の食事はパンにチーズやハム、ピクルスなどの保存食品で済ませ、おやつにはりんごや生のにんじん。そんな食生活もあまり特別ではなさそうである。そして不思議なことに字面ほどの惨めさがない。頻繁に行われるコーヒータイムや簡単な夕食の「お呼ばれ」の際の手土産は、お互いに(経済的に)負担のないように、安いワインや手作りのケーキなどが基本。招かれた際のお皿の上には、とりたてて高価なものが並べられることもなく、素朴に投げ入れた花や、紙ナフキンの色や柄で変化がつけられている程度。しかし、来客前の念入りな掃除には、なににもまして、気持ちのよいおもてなしの心が表れている(そして、ここにもお金はかかっていない)。経済的裕福度にかかわらず、日常生活上での出費の少なさというか、お金の管理の几帳面さには目を見張ることが多い。スーパー以外では店内で何かを手にとって見ている人よりも、ウィンドー越しに眺めている人の数のほうが多いのもドイツの日常である。

その一方、植物園や公園で不定期に催される大園芸市などは、日本の大晦日の買出しのような喧騒である。押しつ押されつ、延々と続く同じような市の植物をくまなくチェックしては、財布の紐が緩みっぱなしなのだ。歓喜につつまれた店先では、高値がついた極小の苗などが、ダースで飛ぶように売れていく。ある市では、あまり敷地が広いうえに、たくさんの買い物をする人が多いため、「プランツェンタクシー」とよばれる、植物専用の無料タクシー(リヤカー)が会場を行ったり来たりと大変繁盛していた。それらは出入り口すぐそばの、ヒモで囲まれた「駐植物場」まで運ばれ、それぞれが帰る前にピックアップしていくというもの。もちろん人はその場所まで歩かなければならない。

最近のベルリンでは法律の改訂により、日曜日にも、いくつかのお店、とくにデパートなどの大型店などが開いていることが多くなってきた。それでもまだ不定期で、最初の頃はほとんど買い物客はみられなかった。このごろは人集めのために、駅構内の広告などで宣伝をかねて事前に告知されるのが功をなしたのか日曜日の(ウィンドー)ショッピングも盛んになってきているようではある。しかし、それとは別に、この「日曜日は休業」が常識のドイツでも、以前から日曜日に開いているお店がある。それはパン屋と花屋。そしてあたりまえすぎて意外に気がつかないのは、期間限定の夏の園芸ショップに、冬のクリスマスツリー用のもみの木直販店である。

夏はバルコニーや、庭や、クラインガルテンとよばれる市営の区画庭園などを花で一杯にして、冬は丹念に枝ぶりや形を吟味して選ばれたツリーを飾り、家中にもみの木の香りを充満させる。これもドイツである。郵便物が翌日に届かないことはざらであっても、お花であれば間違いなく翌日に届けてもらえる。大切な用件は郵便で送るよりも、お花に添えて送ったほうが確実かもしれない。これも植物好きの国の不思議なからくりである。
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世界中から勤務に来る外交官が、ベルリンに就任した後はもう動きたくないという、らしい。美術館に博物館、オペラ座にコンサートホール、数々の劇場と文化施設が整い、それなりのショッピングも楽しめる。それなりの食事があり、それなりの生活がある。ヨーロッパは広く、世界はもっと広いゆえ、最高のものがここにそろっているわけではない。

このベルリンが、それなりの生活を変えがたいものしているのは何か、と考えると、緑と生活の密着度に思い当たる。そして、そこから派生した自然で、飾らない、質素な生活様式。日常の隙間をさりげなく、静かに埋めている街路樹、そのせいで、どこにいても朝晩響き渡る小鳥のさえずり。緑地公園や川や、川辺でのピクニックの風景、これらの、意識せずとも残り香のように記憶の隅にとどまっているはずの緑が根源ではないだろうか。森林浴や公園の散歩などに興味がなかったものでさえも、いったんその心地よい風に当たってしまうと、つかのまの資本主義の文化的、快楽的な刺激よりも忘れがたくなる。ここにいると、お高くとまった有名フレンチレストランのコース料理の価値が揺らぐ。物質主義の世界とはまた別の世界観が横行しているのだ。

そんな生活密着型のベルリンの緑と、その空気感を手軽に味わえるのが、夏のオープンカフェという場所。数限りないカフェの中でもここは特にお勧めだ。ZOO駅から、動物園の外壁にそってちょっと歩いたところに、ティアーガルテンへ続く道がある。その途中に川があり、ここにある水門の上ににカフェがある。はじまりは、小さなバーカウンターのついたキオスクだった。戦前の話である。船員が船に乗り込む前に立ち寄ってアイスを食べたり、飲み物を買っていったりしていたという。

壁の時代には、この川が西と東の境界線に沿って走っていた。厳密に言えばこの地域は向こう岸も含めて英国管轄下であったのだが、このシュプレー川の水上部分がソビエトの管轄下にあったという複雑極まりない過去をもっている。当然のことながら、当時はこの水門からむこう、水上交通に緊張が強いられることもあったという。

カフェの歴史にはこう書かれている。「ここで西ベルリン市民はベルリンの太陽と、ビールと、ボリュームたっぷりのドイツ料理を楽んだ」と。それは、向こう岸のちょっとむこうにある、となりの地区の同じ市民には、それができなかったという事実を示唆している。同じ空と空気をすぐそばで共有しながらも、そこにはまったく違った西と東という二つの世界が隣り合っていた時代があったのだ。
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あれからまだ20年もたっていないのが不思議なほど、当然のように川は平和に流れている。
今はわけ隔てるものとしてでなく、ただのどかに流れている。
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by sommergarten | 2007-04-24 06:57 | cafe

<番外編> Cafe Mainkai (フランクフルト)

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「kid`s Fruehstueck(キッズの朝食)」はこれにオレンジジュースがついて3ユーロ。
高いか安いかはお天気次第。晴れの日には、なんでもない小さなカフェが、マイン川の借景で高級ホテルに負けない朝食サロンになる。

若年独身貴族が多い土地柄か、週末の朝というのに先客はなく静か。
しばらくすると夜が長い朝寝坊たちが、交代交代にパンを買いに来る。
それを横目になんとはなしに口にしたパンが意外においしい。
ひさしぶりの娘との休日、家族で休暇。

目の前には春の陽光につつまれたマイン川がひろがり、芝生が青々と茂っている。
いまにもはじけそうなつぼみたちがたくさんひそんでいることだろう。
春の到来を肌でじかに感じながら過ごした、旅先の長い朝。
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by sommergarten | 2007-04-01 06:18 | cafe