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Tadshikische Teestube (Mitte)

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観光客でごった返す世界遺産の博物館島と、有名なウンターデンリンデンのすぐそばで、奥ゆかしくたたずむ建物、「Palais am Festungsgraben」。現在は小さな劇場兼催事場となっているが、かつてはDDR(ドイツ民主主義共和国の略、旧東ドイツの通称)とロシアの友好協会が入っていたという。大通りから、マロニエの並木で影になった小さな広場を横切ると、控えめな入り口がある。Palais(宮殿)というだけあって、階段はすこしばかり華やかな様相で、しんとした空気のなかでシャンデリアが鈍く光っている。階段を上がり、左手に折れて、それからずんずん進み、本当にこの先にカフェなどあるのか、と思う頃にやっとたどりつくのが、ここ「Tadshikische Teestube」、タジキスタン茶屋。ドアを隔てると、もうそこはベルリンではないし、ヨーロッパでさえない。

決しておいしいお茶が飲めるわけではない。しかし、味わい深い雰囲気が存分に愉しめる。そして、結果的においしいお茶の時間が得られる。お茶そのものよりも、お茶を介して非日常的な時間を味わいたい人にとっては、ベルリンで一番お勧めのカフェと言えるかもしれない。

まずはじめに目に付くのはその内装。床に座るお座敷スタイルがメインであるが、入ってすぐ右手には、たくさんのクッションで埋まったふわふわのコーナーがある。靴を脱ぐだけでも日本人にとってはくつろぎ感が倍増するが、ここでは横になって寝てしまいそうだ。実際、二つあるテーブルのうち、どちらのテーブルでも、一人、二人は、しっかり目を閉じて寝ていたようなのである。瞑想をしているように見えなくもないのだが、そのうちの一人は身内だったため、寝入っていたのは間違いない。

もう一人、別のテーブルでクッションに気持ちよさそうに体をあずけて、目を閉じていた人は、寝ていたのか、深く瞑想していたのか微妙なところである。というのも、彼の目の前にはなにやら怪しいアジアンティーなるものが運ばれてきたようなのだが、なんと、そのティーセットのトレイの中には「お線香」が立っていたのだから。この摩訶不思議さは、ヨーロッパ人にとっては貴重な異文化体験なのかもしれないが、日本人としては「仏様じゃああるまいし」、とこころのなかで突っ込まずにはいられない。 しかし、当然のことながらそれにたいして不満を言うものなどなく、自分自身もいつまでもこだわる気になれない。こだわりを持ち続けるには、雰囲気が気分を牧歌的にしてしまいすぎなのである。建物の周囲には余裕があり、時折、大きな風がふんわり店の中に入ってきては、また帰っていく。靴を脱ぎ、足を伸ばす、しだいに姿勢も崩れてく。時間はいたって平和に、ゆっくり流れていき、気分も軽く流れていくしかない。

サモアールで飲むロシアンティーなるものには、たくさんの甘味料と食べきれないほどの甘いクッキーがついてくる。そしてウォッカ。それ自体は別に取り立てて特筆すべきものでもないのだが、ケルナリンは、意外にも、ウォッカにたいしてよりも、強い紅茶と、ウォッカを非常にたくさん吸ったラムレーズンに対して慎重に扱うようにとの説明をしてくれた。

サモアールのお茶の飲み方は、独特だ。サモアールの上にある小さなポットの中に非常に濃い紅茶が入っていて、それをほんの少しだけグラスに入れて、そのあとその下の大きなタンクについた小さな蛇口を回して、そこに入っているお湯で薄めるというもの。しかし、ここで油断してたかが紅茶と、たくさん入れてしまうと、強くなりすぎるため、その点を十分に注意するようにというのである。

「ロシアの刑務所では、囚人たちがお酒を飲めない代わりに、強い紅茶をストレートで飲んで、ウォッカ代わりにしているのよ、それくらい強いものなの、だから十分に気をつけてね、これだとカップにこれくらい」。とほんの少し5分の1くらいいれて見せてくれた。それをたっぷりのお湯で割って、お砂糖やジャムをいれたり、キャンディーを口に含めてお茶で溶かして飲んだりする。そうしながら、徐々に濃くしていけばからだに負担がかからないということであった。これはお酒を飲むときの常識と確かに同じといえる。

この特徴ある柱と内装は、70年代にライプチヒで行われた見本市で、タジキスタンのブースにて使用されていたもので、その後そのままDDRに寄贈されたもの。タジキスタンは、当時は、そして今からほんの十数年前まではロシアの一部だった。タジキスタンの小さな世界は、こうして時代を超えて、場所を変えて、ベルリンに、おそらくは安住の地として居を構えることとなったのだ。これからも、会う人ごとに、文化の楽しさ、その違いの楽しさを、その身をもって静かに語りつづけてくれるに違いない。
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by sommergarten | 2007-06-10 17:42 | cafe

Albrechts (Charlottenburg)

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時には、雨をお供に。



雨にも負けず風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫な体を持ち
欲は無く、決して怒らず
いつも静かに笑っている。
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずによく見聞きし
分かり、そして忘れず
野原の松の林の蔭の小さな萱葺きの小屋に居て
東に病気の子供あれば、行って看病してやり
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば、行って恐がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないから止めろと言い
日照りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくの坊と呼ばれ、
誉められもせず、苦にもされず
そういう者に私はなりたい
(宮沢賢治)



小学校のときに覚えさせられ、体育館の舞台の上で合唱した詩。
意味も分からず、考えず、ただ音として覚えることができた
若さと、記憶力。

そしてこのごろ、ふと思い出し、しみじみと感じ入ることができるようになった自分が、
この詩が編み出された彼の年齢とほぼ同じであることに驚く。
あの早崎先生は、いつかこうして大人になったかつてのこどもが
この詩を思い出すことを予期していたのだろうか。

これは死床で書き留められ、彼の手帳に走り書きされていたものが
彼の死後発見されたものだという。
作られたものでなく、彼のこころの叫び、
生きていたらこうありたいという切ない、切実な、切羽詰った願いが
だから純粋に凝縮されていると思う。

こどものころは、なぜ彼はこんな人になりたいのか、ときっと不思議に思ったはずだ。
しかし、今は、彼の理想は十分に理解できる。
しかし、物理的に部分的に実行できても、精神的にはまだ遂行不可能である。

この詩を知っていようがいまいが関係なく、
果たせなかった彼の想いをつぐかのように、彼の年齢を飛び越し、
この世界にこういう生き方を喜びとして貫いている人がいるはずだ。

その仲間いりをするかしないか、できるかできないかは別として、
そういう生を応援していける人でありたい、と今は思っている。
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by sommergarten | 2007-06-08 10:22 | cafe