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KW (Mitte)

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読書の秋、サイバー読書の秋。
過去の喧騒など微塵も感じさせない、小春日和の静かな午後。

ベルリンでは、歴史を受け継ぐことだけでなく、
その延長線上において、新たに生まれ変わり、変わり続けるのが一つのステータスである。
この建物も、華麗に生まれ変わり、近年新たな息吹を得たもののひとつ。
http://www.kw-berlin.de/deutsch/about_frameset.htm

人も、ベルリンでは、同じ。
ひとつの生のなかで、みな常に生まれ変わっているし、あるいは、いつも生まれ変わろうとしている。
そのような、欲望と希望、エネルギーがみなぎっている。
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by sommergarten | 2007-09-30 05:35 | cafe

Pfau (Kreuzberg)

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「Pfau(くじゃく)」という名のカフェ。
市民の10%が外国籍というベルリンでも、さらに外国人濃度の高いエリア、クロイツベルグ。
そのなかでも、まるで個性を競うかのようにいろいろな顔、地域が連立しているのだが、クロイツベルグで一番好き、そしてベルリンで気に入っているカフェ通りの一つがこのカフェのあるBergmann通り。
年に一度のジャズフェスティバルでも名が知れているようだが、なんといってもこの界隈はカフェが多く、それも人の流れが行き交う場所ではなく、ゆっくりと集まってくる行き先という感じ。
ベルリンの奥地ゆえ、観光客などはほとんど見かけず、カフェの雰囲気も客層が地元民やその知人ばかりといった感じでのんびり、親近感漂う雰囲気。それはまるで、それぞれの家のキッチンや、リビングのサイドテーブルの一角からそのまま抜け出てきた感じなのだ。手ごろな値段で、おなかが膨れるメニューもたくさんある。この具沢山の温野菜スープは3ユーロ程度。
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地域に根付いた地元民のカフェとはいえ、よそ者でも一見客でも違和感はまったくない。
なぜなら、ある意味、ここでは地元民はよそ者であり、よそ者が地元民なのである。
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by sommergarten | 2007-09-29 05:14 | cafe

本日のウィンドーショッピング

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日本へ休暇の帰国前に、おみやげを調達しようと昼休みにでかけた。
目指すはベルリンで一番好きなデパート、KDWではない、実はアレックスのガレリア・カウホフ。
駅から広場に出ると、すでに聞こえてくる大音量のノリのいい音楽にたいそうな人だかり。
何事かと思いきや、こんな不思議なショーが展開されていた。
デパートのてっぺんから、音楽にあわせて踊りながらシンクロして降りてくる二人。
昨日今日と、ちょっとしたことで気分が滅入っていたのだが、
おかげで顔を上げて、真っ白な雲が浮かぶ青空を望むことができた。
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by sommergarten | 2007-09-27 05:00 | 街角ブレイク

Britzer Garten

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あまりにも天気がよいので、ドイツ人の知人に評判を聞いて以前から行ってみたかった公園に行く。
公園といっても、珍しい有料公園。大人一人2ユーロ。こどもは5歳まで無料。
この、高額でもただでもない、2ユーロという金額があなどれない。
市の3分の一が自然というベルリン、公園なら林や森のようなものまで含めいくらでもある。
動物園でもなく、植物園でもない、ただの公園にお金を払ってまで入るという人はあまりいないのだ。
しかし、このたかだか2ユーロでここはかなり大きく他の公園と一線を画している。
まずは、絶対的な人の数が少なく、ゆったりしている。人まで(さらに)のんびりしている。
お金を払ってまで公園を心地よく楽しみたいという本気の人が多いのだ。
それはまるで会員制の公園のようで、マナー違反がなく、非常に安心していられる。
ごみ一つ落ちていない。タバコを吸う人も見かけなかったし、ポイ捨てなどここでは問題外である。
もちろん受け入れ側の管理のほうも万全で、場所によっては季節の花が彩りよく植えられ、
芝生はどこまでも美しく青く、毛足がきれにそろえられている。
それ以外は非常に自然な公園の形態で、植物園や人工的な庭園特有の整然とした冷たさがない。
驚いたのはごみ箱が、アルミやプラスチックでなく、こげ茶色の籐で編んだ巨大なかごであったこと。
それだけのことなのに、ぜんぜん違う。緑と調和して目にあたらないのだ。
いかに普通の公園にある普通のごみ箱が、便利でも興ざめするものか、今回初めて気づいた次第。
もうひとつ大きな違いは、ベンチの数が普通の公園とは違うこと。とてつもなく多い。
それ以外に、パイプの椅子や、おそろいの素材で作られた二人用のデッキチェアが、芝生のあちこちに十分な数が置かれていて、自由に使えるようになっている。
椅子の色はやわらかいシルバーグレーで景観をこわさないようにとの配慮が見てとれるのだ。
ピクニックもでき、レストランとして使えるちゃんとしたカフェが二軒、それ以外にちょっとした飲み物や軽食がテイクアウトあるいはテラスで飲食できる、ミルクバーやキオスクなども5分程度歩けばどこにでもみつかり、非常に楽で便利であった。
こどもの遊び場も充実していて、一時間に一本だか、こども電車まで走っている。
年間パスが大人一人たった20ユーロなので、ぜひ会員になろうと思っている。
暖かくて天気のよい日もすばらしいが、雪に覆われた湖と丘も相当美しいと思う。
今日はお昼過ぎに到着して、携帯がなった18時まで、一度も時計も見なかったし、時間が一切気にならなかった。
この頃は夫が(追)試験勉強でねじり鉢巻きのため、週末は外での子守を一任されている身、なかなかこういうことはない。
いくらわが子がかわいいとはいえ、つい、あとx時間なんて逆算してしまうことも多いのである、実を言うと。
のんびり歩いて、芝生に寝転がって、カフェに入って、娘がブランコし、それを眺め、まわりの人やこどもたちを眺め、湖をゆっくり一周して、
そして5時間が一炊の夢のように過ぎていた。
おそらく人生の秋のように。
紅葉が始まった秋の美しさと哀愁に、すっかり圧倒された短い午後。
今日からベルリンで一番好きな場所になった。
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www.britzer-garten.de
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by sommergarten | 2007-09-24 06:11 | Daily life

せかいのこどものひ

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秋晴れの先週末は「世界のこどもの日」と称して、こども祭りがあった。
体にゴムのベルトをつけて、トランポリンの力で空中を舞うこどもたちや、
大きな模造紙に絵の具を塗りたくったり(決して絵をかく、のではない)、
生バンドの音楽に体を揺らしたりして、主役のこどもたちはみな楽しんでいた。
いろいろな遊びは用意されていたが、移動遊園地の乗り物のようなものは一切なく、
屋台の食べ物も、ビオ製品が多く、値段も手ごろとなかなかの趣向。
たくさん準備された遊具をあれこれ見て回って、わが娘を含めこどもに一番人気があったのは、
意外にも、このただの「わらの山」であった。
そして最後にすばらしかったのは、これだけ大規模な準備をし、
まだまだこどもや家族は楽しんでいるというのに、
こどものお祭りだけあって、18時にはきっちりお開きになったということ。
時間がきたとたん、みんな片付けに入り、家族はいそいそと家路に急ぐ。
ドイツ人の多くのこどもは7時半から8時ごろにはベットに入る。
そしてそれからが大人の時間、ということらしいのだが、
なかなか我が家はそのようにうまくはいかず、いまだに親子3人川の字になって寝ている。
親がこどもを寝かしつけながら先に寝入ってしまい、朝はこどもに起こされているという、
ドイツでは市民権を得ていない外国のスタイル(のなかでも例外)ではあるが、
世界は広し時代は巡る、であるから、川の字スタイルは世界で脚光を浴びる日もそう遠くない気がする。
少なくとも、我が家にとっては川を作ってすごす時間が、たとえ眠っていようが一日で唯一濃厚な家族の時間。
娘の寝言に成長を確認し、お互いの体調を体で感じ、今日のことを話し、明日のことを語り、安心して寝入る。
一日でもっとも大切な時間になってきている。
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by sommergarten | 2007-09-22 06:59 | 街角ブレイク

初物とはじまり

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まだ9月も中旬をすぎたばかりというのに、カフェに火が入った。
暖かい室内の暖房はまだまだ先で、始まったのはドイツでは恒例の冬の野外カフェ用の暖房である。
毎年どうしても同じことを繰り返しつくづく考えてしまう。
もったいないことを忌み嫌い、節約したり、省エネやエコロジーに対する市民の意識が非常に高いドイツで、なぜ一見この非常に無駄に思え、実際無駄な野外暖房が必要なのかと。
ドイツの冬とこの野外暖房は切り離せられないくらい、ドイツの生活に根付いている。
ドイツでは雪の庭でバーベキューをすることがあるということを知ったときも同じくらいの衝撃を受けた。
非常に不経済である。しかし、たのしそうである。気持ちよさそうでもある。
この無駄が嫌いなドイツ人が無駄をするときの遊び心が、実はとても好きである。
このカフェの野外暖房器具を見るたび、これはそのドイツ人の性格をよくあらわしているなと思う。
それを思うとき、ある一つのことが思い出される。

20年近く前、あるドイツ人とロンドンで落ち合い、ロンドンの高級デパート、ハロッズに冷やかしに入ったときのこと。彼は、カジュアルな服装に、リュックサックといういでたちで、知人の家の一角を借りて寝袋で寝泊りしていたいわゆるバックパッカーだった。その姿は非常に彼の雰囲気に溶け込んではいた。それも、彼が50歳過ぎであったことを考えると不思議なくらいに違和感がなかったのだ。清潔だったし、簡単な服装ながらも小さなこだわりが個性となって現れていたからなのかもしれない。しかし、この年齢でこの服装とは、経済的な理由があるに違いなかった。私は彼よりもゆうに20才以上、30近く若かったせいもあるだろうが日本から来た身で、手持ちのお金はなかったけれど洋服においては彼よりはまだもうすこし気を使い、ましな格好をしていた。

店の中は全てのものが高く、お金のない二人が冷やかしに入るには、店のものを見るだけにしても敷居が高い。落ち着かない気持ちでそろそろ出ようかと言いかけたそのとき、あるショーケースに飾られた、最高級のシルクで作ったであろう男性用のバスローブが目に入った。それは、こげ茶とモスグリーンを基調に、紺色の縁取りがあって、芸術作品といっていいような風貌でショーケースの中でライトに照らされ輝いていた。「こんなの誰が着るのかしら。大富豪、それともどこかの国の王様。それにしても、今まで見たことがないくらい綺麗なシルク」。誰にいうともなくそうとつぶやいて過ぎ去った。ところが、ドイツ人の彼は、そのショーケースの前ではどうしても薄汚く見えてしまうバックパッカー姿でそのローブを躊躇なく眺め回し、同じようにため息をつき、店員を呼びつけた。「あなたには不相応です」とでもいいたげな不審な顔をした店員がしぶしぶやってきたのだが、彼は相手の態度をものともせずに、「これあけて見せて」という。そして、鍵をあけて仰々しくお出ましになったシルクのローブを従えて試着室に行き、袖を通して鏡を見た。とても似合っていた。50のダンディーな男性はやはりバックパッカー姿より、本来はこういうお金のかかったものの方があっているのだろう。

それにしても、お金もろくにないのだろし、こんなの試着してどうする気だろう。ここまでして買わないで返すならこっちまで恥ずかしいし、逆に、女性の手前あとにひけなくなっていらないものを無一文になってまで買うのなら責任を感じる。いったいどうしたものか。お高く留まった店員を前に大げさに聞こえるだろうが実際はじっとり汗ばむくらいの緊張を感じていたのだ。しかし、彼はまったくそのようなことは感知せず、安い電化製品でも買うときと変わらない調子でこういった。「品質がいい。とても気に入った。もらうよ」。そして、首からぶら下げたお財布から、さりげなくゴールドカードを出したのだ。たかがバスローブに何十万も払うお金があるのなら、なぜホテルに泊まらないのか、なぜ昼食は朝の残りのパンで作ったサンドイッチで、ちゃんとしたレストランには二日に一回しか入らないのか。確かにご馳走してくれることもあったが、そんなに頻繁でも、たいしたものでもなかった。なぜなのか。どういうことなのか。一瞬のうちに頭の中にたくさんの疑問符が走り、仕舞いには人のお金を自分のものと勘違いしてしまうくらい混乱したのだ。

ただ単に、ドイツ人はお金を持っている人がそれ相応のかっこをしているとは限らないとか、貧乏に見えても実はお金を持っている人が多い、とかそういう価値観の違いに驚いただけではない。この買い物の仕方が、「わざとらしく」でも「仰々しく」でもなく、これ見よがしさもなく、ごく自然であったことが一番の驚きであったのだ。何の気負いもなく、高級デパートに不釣合いな(見劣りのする)バックパッカー姿で躊躇なく入り、リュックを手に提げるように言われれば、はずかしげもなくそのようにし、第3者がどういう目で見ようと、堂々とし、買うものも態度も自分の意志で決める。自分がいい、欲しいと思ったものに払うお金の準備があり、しかるべき時には金額の大きさを気にしない。そういう潔さ。

実際、あれは客観的に見ればかなり滑稽なシーンであった。いい年をした貧乏旅行者が、見方によっては一生着る機会もなさそうな世界最高級のシルクのバスローブを買ったところで、どうするの、という目もあるだろう。しかし、本人からすればそれが何、あなたに関係ありますか、ということなのである。たとえ本当に家が非常に貧しく不釣合いな品だったとしても、自分が満足していれば、これを手元におくだけでうれしく、大切にすることで払ったお金を差し引いてもあり余るかもしれないのだし、実は本当は格好に似合わず豪邸に住んでいる裕福な紳士なのかもしれない。しかし、それを見ず知らずの他人に知らせる必要はないし、どちらにしても恥ずかしいことなど何一つないということなのだ。全ては自分が基準であって、他人の目による判断ではない。

基本的には、ドイツ人は倹約家で、飾ることを嫌い、合理的で、筋を通すのが好きな人が多いような気がするが、ひとたび「これはいい」と思うと、すべての理屈は立ちどまりに無効になり、このときのために待っていたといわんばかりに(他人から見れば)びっくりするような無駄遣いをする。そういうドイツ人が多いような気がするし、少なくとも周りにはそういう人がたまたま多い。そしてその全ての原型は、先ほどのハロッズのバスローブ事件に集約されているような気がしてならない。

とっても長い昔話。あの時はまさか自分がドイツに住むことになろうとは知らなかったが、思えば生まれてはじめてのヨーロッパ体験が、奇しくもこのドイツ人とのロンドン周遊だった。京都でお寺の学生ガイドをしていたときに出会った、ドイツ人の禅僧。とてもユーモアがあって、役者のようだった。英語の勉強をかねて「文通」を重ね、いつからか音信不通になったが、もしまだドイツのどこかで元気にしているのなら、今頃はもうおじいちゃんだ。あれはどこに飾ってあるのだろうか。使っているとは到底思えない国宝級の代物なのだから。

ドイツ人がけち、というのは何時、誰がいいだしたことなのか。実際そうなのかもしれないけれど、使うべきときに使う準備があるというのはそれはそれでいいことなのではと思う。少なくとも、人目を気にして無駄な支出を控えられない人のほうが、小さいような気がするのだ。とはいえ、ドイツ人の主婦になったこともなし、小銭が自由にならないとしたら、それはそれで耐えられないのだろうけれど。ただ、日々は堅実でいて、自分がここぞというときに人目を気にせず決める、決断力(そして経済力)があるドイツ人に対して憧れがあるのは事実。人は自分にないものに惹かれ、あこがれるものなのだ。
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by sommergarten | 2007-09-21 07:43 | 街角ブレイク

Kaffeebar Meze

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あまりにも寒いので、予定を変更して途上で飛び込んだ。地中海のサンドイッチ屋とのサブタイトルのついたカフェ「Meze」。イタリアの定番パニーニなどもそろい、一見よく巷にありそうなカフェバーのようだが、よく見るとパンの中身が目新しい。ドイツ人は旅行好きが高じて、各国の食に対してとてもオープンで、作るのも食べるのも積極的だ。しかし、食の幅は広くても、内容は定番が多く、とくにドイツ人にとって主食と言ってもいいほどのパンの具については案外保守的で、どこに行っても似たり寄ったりが多い。しかし、ここのカフェは小さいながらも勇気ある個性派なのが見て取れる。写真の左上は、チョリソーというスペインの辛いサラミにたまねぎのパン、右上は、チーズにイチジクにはちみつ。4つほどのハイテーブルしかないというのに、PCを広げて長居する輩もいれば、すぐ横のテーブルでは仲のよい男同士がささやきあい、カフェ一杯で読書にふける東洋人もおり、10種類ほどのスカーフを頭に巻いた、一風変わった物貰いまで話しこんでいるという状態になっていた。パンの中身と一緒で、客層もたいそう個性的である。新たな客は、席がなくともあきらめることなく、10度そこそこの気温にも負けず、外の席でジャケットにマフラー姿で背中を丸めながらカフェで体を温めている。このあたりはベルリンでも有名なカフェの連立するエリアで、少し歩けばいくらでも暖かい室内で飲める店は待っているというのに、変わった人たちである。という本人も、ドアの近くに唯一空いていた席にすわり、人が出たり入ったりする度に寒い思いをし、時折開いたままになってしまって不便を感じながらも、なんとなく居心地がよくて気がつくと長居してしまっていた。寒さから逃れるために入ったというのに、寒い席しかなく本来なら不本意なところが、人の流れを見、もっと寒いところでおいしそうにカフェを味わう人を見ているうちに心はすっかり温かくなっていたのだ。
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by sommergarten | 2007-09-20 06:16 | cafe

Cafe Gormann

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ハッケーシャーマルクトに近からず遠からず、こじんまりとしたオフィスビルが点在するGormann通り。この通りの一角に静かにたたずむカフェがある。ドアを押し開けると、赤紫のビロードのカーテンの向こうに、ダークブラウンを基調にした1920年代風の空間が広がる。日中はゆったりとした客席も、日が暮れるとワインバーやビストロの顔をだしてきて、次々に席が埋まっていく。食事はお昼には少々贅沢、夜はかなりいい値段になるが、コンソメひとつ取ってみても、非常に繊細で味わいがある。席数がとても少なく、周りに何もないというロケーションだが、それがかえって密やかさを引き立てる大人の社交場といった感じ。しかし門戸が一般に閉ざされているわけではない。ドアには虹色の旗のシールが光っており、保守的な様相の実、さりげなく革新的な魅惑のカフェである。
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by sommergarten | 2007-09-19 07:37 | cafe

心の余裕

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心の余裕は、時間がないときだけでなく、ありすぎてもできにくい、ということに気づいた。
ここしばらく、一ヶ月ほどは公私とも、いい意味で気ぜわしかった。
そして急に全ての人と物が夏と一緒に過ぎ去った。
とたんに秋が来て、寒くなったのだ。
街路樹は黄色に染りはじめ、歩いているとどんぐりや、栗がおもむろにぽたりと落ちてくる。
しんと静かな日々は平和なはずが、なんとなく手持ち無沙汰の感。
待つことが苦手な身としては、今の静寂を落ち着いて楽しむ心の余裕がない。
では、明日からはがつがつ働こう。
そう思いつつ、2杯目のコーヒーをゆっくり飲んでいる昨日今日。
なんとなくほっとし、なんとなく寂しく、なんとなく焦りながら。
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by sommergarten | 2007-09-18 05:51 | ごあいさつ

秋の夜長

太陽のイタリアから帰ってきたら、街はすっかり秋の装いになっていた。
気温は一気に10度以上さがり、20度以下。
ちょっと歩くとちょうどよい、さわやかな気候、
一年のなかでもカフェがもっともおいしく感じられる季節の到来だ。
透明感のある空気を胸いっぱいに吸い込んで散歩していると、なんと、めずらしいものに遭遇。
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ドイツでも、時代とともに新しいものに取って代わられてきたが、
かつては、どこででも目に入る平凡な光景だったはずだ。
今の時代においては、貧しさと、富、両方の象徴でもある。
一軒家で部分的に使って省エネ、節約に役立てている人もいるようだ。
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薄手のセーターをきて出かけた今日の青空市場で目に付いたのは、この香草群。
煮込み用のお肉を求め、一緒に明日の食事のためにコトコトしていると、
気持ちに余裕ができてきて、なんとなくゆったりした気分。
部屋もこころも暖かくなってくる。
就寝前に火を止めたら、一晩ゆっくり寝かせて、明日には食べごろになっているはず。
帰宅後あわただしく冷蔵庫をのぞいて、20分で作る料理も楽しくおいしいけれど、
たまにはじっくり、手間隙かけて、、、
めんどくさがり屋も上手にその気にさせてくれる、誘惑の秋。
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by sommergarten | 2007-09-02 06:22 | 街角ブレイク